仏教による幸福への成功方式
第十一章 三寶運動 仏陀はあなたに期待す 仏教は一応個人の苦滅という目的をかかげて幸福を追求するものではありますが、仏教的世界観、人生観が段々熟してくると結局、他の人々の幸福を願うより外にまことの幸福はないというところに行きつきます。仏陀世尊…
最後のいましめ 「鍛工の子であるチュンダの施食を食したまいし世尊は、毒茸にて重き赤痢の病にかかられ、赤き血をほとばしり出で死ぬほどの激しき痛みを受けられたり。世尊は正念して自覚し、なやまされずして苦痛を耐えたまえり。そして世尊は尊者アナンに…
四大と死 人間は正覚すれば不死であるという。いや不死を正覚するのですが、では一体死とは何か、世尊はこう教えられました。 知-骨、内蔵等カルシュウム、蛋白質その他 水-目汁、鼻汁、血液、淋巴液等の水分 四 空 火-体温、食物消化による熱エネルギー …
入滅を何故されたか 世尊は八十一才(或いは八十才)で肉体を捨てられたのですが、お弟子達はこの理想的人格完成者である仏陀が、何故神通力をもって持ちこたえることが出来ず、凡夫と同じように死なねばならぬのだろうか、それではありがたくないではないか…
第十章 ダンマ「佛心」(成仏原理) 我、佛陀となりてより、すでに無量百千万、無限の年数へたるなり、常に法を説いて無 数億の衆生を教化して仏道に入らしむ。衆生を導かんが為に方便をもって涅槃をあらわす、されど実には滅度せず。常にここに住んで法を説…
感応力の使い方(慈悲五行) もし他人の病苦(苦果)を消除して上げるお手伝いをする為には、その苦因と苦縁とをさぐらねばなりません。それにはその方と先入観を持たず互いに信頼し、み仏を中心として包み隠さず、中々人には知られたくないといった問題(こ…
あなたも持っている感応力 かねて思いわずらうことのみ多くて、心の力全部が能率よく使われることは少ないのですが、昔の人は直感力が強かったものです。それの更に強いのは感応力(霊能力とも言う)で、これは人間本来すべての人々が持っているのです。蟻が…
自力などはない 昔は自分の修行の力で成仏するのだと考え違いしていた方もあった(自力)らしいのです。しかし成仏とは仏陀の大智大悲無限のいのちとなることですから、仏陀世尊のおかげを受けずにこの成仏の道を知ることすら出来なかったのです。成仏とは自…
浄土とは別世界か この救済を願う心はとかく宗教的な努力を投げ出し浄土という何もせずに安楽に居られるところのように勝手に想像し易いものですが、そうして求めて得られたところは天国であって決して浄土ではないのです。 苦とか楽とかを通りこしたのが極…
五逆と謗法を犯すな 五逆とは一、仏の身から血を出させるということ。二、父を殺す。三、母を殺す。四、師匠を殺す。五、サンガの和合をかき乱す。この五つの大逆罪のことです。又正法をそしる(謗法)とは、人々が、世尊が創始した正法によって苦を滅し、仏…
本願 大昔、法蔵ボサツと言われる方が世自在王如来のところで永い間修行しておられましたが、もし自分が成仏する時には、自分が作る浄土には地獄、餓鬼、畜生の三悪道がないように、又もし自分が作る浄土にきたい者は必ず、こられるようにと四十八の願をかけ…
第九章ダンマ「大慈悲」(救済原理) たとえ 仏陀と 我なるに あらゆる衆生 まごころで 信じ 楽しみ わが国に 生まれたしと よく念じ 生まれぬならば 正覚せず。 ただし 五逆の 罪おかし 正法そしれる 者のぞく。 信仰による救われ 世尊は現実に四十五年間絶…
佛陀とは 三宝互具の御本尊である仏陀とはいかなる方か?これはどのお経にもでてくるみ仏の尊称(如来の十号)を見れば分かります。 一、如来-真理(如)より来たれる方。 二、応供-煩悩をなくし供養に応ずる資格ある方。 三、正遍知-一切を正しくあまね…
三宝互具 仏陀というからにはその中にダンマとサンガがこもっておらねばなりません。仏陀だけのつまり法とか人間に無関係の存在などありません。正法も誰でもが速やかに目的達成できる実行法と真理であると同時に、仏陀人間物などと無関係に存在するというこ…
本尊と本佛 インドやシナと同じように日本でも学理的な主張によって自宗の優位性をうち出す為に考えられたみ仏の区分に従って仏教がうけつがれてきました。み仏を尊敬の念によってではあれ品定めするという大それたことが当然のことのように千何百年もされて…
四果 四禅法を実行するとどういう結果が得られるかについて簡単に勉強すると。 第一禅→(予流果)仏教という生き生きとして死ぬことのない大きな信仰の流れに自分も予(あずか)り入り、再び他の宗教に迷い込むということのない確信の喜びの状態です。ここま…
智慧は光 仏陀のお姿が光り輝いて金色なのはこの上もない智慧の輝いておられるのを表すので、あの後光もその智慧の光(慧光)がはてしなくどこまでも届きすべてを包み救導なさる大智と大悲の表現です。私共はこの智慧を頂くことによってなすべき苦滅を完成し…
禅定はすべての源 精進の力は一体どこからわいてくるのか。人はとかく体力を考えるが、その源は何か、心(理性と感情)である。それはうすっぺらい表の心ではなく、素晴らしい厚みを持った奥の心なのです。焦り怒り、嫉み迷い怠け、不正欲求などを焼きつくし…
精進とは力 浄土作りという大理想に対しては正行と六度がその推進力なのです。精進努力をすすめなかった日本仏教は今日の去勢となりました。弱まり易い心を互いに励まし合うのが善き友です。精進の目当てはみ仏です。世尊です。人が見ている時は水もかぶり、…
忍辱はよろい 今はボディガードなどと人を頼ろうとしますが昔は鎧で身を守ったものです。今ならさしづめ野球の審判が着けているプロテクターといったところ。常に公正な判断、何事も第三者のように冷静に批判すれば怒りの玉を受けないですみます。それでもは…
互いに戒を守ろう 殺生がいけないように盗みも男女関係の乱れも、うそ偽りも酒もいけない。この仏教徒として最低ギリギリの五戒が正しく守られたなら刑務所などは不要となり老人ホームに改造されるでしょう。 この五戒は社会の浄土作りの大條件なのです。殺…
互いに施せ 信仰の初めは善果を得たい為に善因をまく施しをしました。それでよいのです。私共は初め、何かの善果を頂くことのみの喜びを求めるものです。病気治しや、商売繁昌から極楽往生まで、常に自分の頂きが中心でした。しかし仏教の原理が段々分かって…
第八章 ダンマ「六度」(施行原理) 施をなして 共に喜ぶ善をなせ 戒まもり 共に苦しむ悪止めよ 忍辱は 怒りをとかす慈悲心 精進は たゆまずはげむ力なり 禅定で 心正しく定まれば 智慧光り 仏陀の如く輝やかん 施行は互いの修行法 今迄は主として個人の完成…
精神分析を自分でせよ 自己を知るというのが仏教の基本的態度です。まず自己の心の中をのぞいてみる(内観)そしてそこに苦果を生み出す心因があればつまみとってしまうべきです。精神分析とはそれを心理学的にまとめた科学的方法なのですが、言葉こそ違え仏…
安産について 安産とは出産と同じ意味で自然的な生殖本能の現われだから正しい食欲、正しい性欲と同じに苦痛であるべきはずがない。ところが段々不妊、流産、難産が増えるのは何故か。それは心因による病気が増えるのと同じことである。高等動物つまり精神要…
祈念法 四聖諦によって宗教的に苦滅の目的を習ったのですが、更に人生問題の積極的解決、真の幸福の達成法としてもう一度研究して毎日の生活にこの祈念法を活用して皆が幸福になりましょう。 苦諦-問題をしぼれ!私共は何となく不安と恐れと不満をもってい…
愛情と家庭 では愛欲はいかに転換されるべきか-人間は愛欲の奴隷でなく主人であったはず。愛欲は種族社会を繁栄させる盲目的欲求でしたが、一度仏教を習えば盲目的生き方では満足出来なくなるのです。愛欲は夫婦と子の家庭を作るものです。この家庭を浄土の…
愛欲とは 実は修行の最大のさまたげなのです。無明は仏陀の智慧原理を習ってゆけば割合に解決が早いのです。ところが愛欲は理屈ではどうにもならないものです。それは実は食欲の変化したものなのです。世界の出来上がりを思い出して下さい。初め肉体をもたぬ…
四禅 まず正坐をします。頭をまっすぐ立て、あごを引き耳と肩とを向かい合わせ、肩を後に引いて力をぬき、背骨をのばし膝はこぶし一つあけて、足の親指を重ねて下腹に力を少し入れて突き出し加減にする。本式にはあぐらをかいて右足を左のももの上に乗せて、…
第七章ダンマ「四聖諦」(苦滅原理) 苦諦とは 知らねばならぬ 四苦八苦 集諦は 集めて苦となる 無明、愛 滅諦は 苦楽をこえた 涅槃なり 道諦は 涅槃へ至る 八正道。 最初の目的 個人の完成はダンマ「三法印」(目的原理)によって習いました。その目的達成…