2009-11-06から1日間の記事一覧

松尾多勢子 「やじより」 第一幕

やじより 第一幕 明治二十七年(一八九四)六月十日、ひとりの老婆が信州伊那谷で長命を遂げた。 松尾多勢子、享年八十四歳。 この老婆の死は、ひとつの時代の終焉を意味していた。 長州藩出身の志士たちは、大なり小なり松尾多勢子と関わりを持っている。諸…

生き方メッセージ #22(平凡普遍)

『平凡普遍』 この私に与えられた真理真実 生かされを生きるという事実 この事の重大さを教えられる この私に期待される真理真実 その実現を意欲しないならば 私の生きる意味は消えてゆく 一切は相関互恵するという 平凡にして普遍の真理真実 それこそは私を…

勤労の聖僧 桃水 #27(6、禅林寺時代 その二)

私の想像するところに依れば、この禅林寺住職時代の聖僧には、もはや、市井一介の平凡なる勤労者の生活の中に、自己の安住の地を見出そうとする心が相当に強く動いていたものゝようである。私は、次の如き逸話を参考にして、斯く想像するのである。 聖僧の法…

仏教による幸福への成功方式 #54(第七章ダンマ 四聖諦 愛欲とは )

愛欲とは 実は修行の最大のさまたげなのです。無明は仏陀の智慧原理を習ってゆけば割合に解決が早いのです。ところが愛欲は理屈ではどうにもならないものです。それは実は食欲の変化したものなのです。世界の出来上がりを思い出して下さい。初め肉体をもたぬ…

真理と共に

『真理と共に』 一切は縁起し変化して止まない 善も悪も相対の流転世界である そこに真の安らぎは得られない 縁起の真理を学習することで 真理中心の生き方を始めれば 安らぎと充実が得られてくる 何時でも何所にも普遍する真理 この真理を体得して生きるな…

三宝聖典 第一部 第八項 縁起の正覚

第八項 縁起の正覚 その時、ブッダ世尊は初めて正等覚をなしとげられ、ウルベーラー村、ネーランジャラー河のほとりなるボダイ樹のもとに坐し、一度び静坐したるまま七日の間、解脱の楽を受けたまえり。 時に世尊、その夜の初めに縁起を順と逆に思いたまえり…