2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

原始仏教講座 第三講 その十九

第三講 その十九ジェーナとサマーディとどう違うかというと、真理を考えて、考えるでもなく考えて、ずーっといくと、自分が真理の状態に成り切って行くわけです。自分自身が真理になってしまうわけです。そういう状態をサマーディというわけです。ジェーナと…

経集 46

46.若し聡明なる友を―共に行じよく住する賢者を―汝ら得ずば、王が征服せし国土を捨つるが如く一切を捨てゝ犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 十六頁) 若しも信の人 敬虔な人 智慧の人なる、明敏な友…

釈尊賛

『釈尊賛』 人間を超える世界へと分け入られた釈尊 人間を超える真理真実を明かされた釈尊 人間としての究極を生きて行かれた釈尊 我を見る者は法を見よと言われた釈尊 日に一食托鉢によって食事された釈尊 人中に住まず人々に法を説かれた釈尊 二千五百年を…

釈尊の聖句 327

327 汝等不放逸を楽しめ、自己の心を護れ。自己を難處(煩悩)より救出せよ、宛も泥中に陥れる象の如くに。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二三 象品 六八頁) 自己の発心 (おんみら)わがまゝならざるを楽しめ。おのれの心をよく守れ。みすず…

見られる私見る私

見られる私見る私- どうにもならない点を見てゆくのと どうにかなる面を見てゆくのと あなたはどちらがお好き あなたを見ていられる方は どちらがお好きかな

原始仏教講座 第三講 その十八

第三講 その十八正定というのは、定というのは定まると書いています。この定まるとは精神が安定するということですが、精神統一でもあるわけです。原語はサマーディです。このサマーディというのは精神が統一されて、その状態になりきった状態をサマーディと…

釈尊の聖句 325

325 懶惰にして大食し、惰眠を貪りて輾轉として臥し、穀類に飽満せる大豕の如くならば、かゝる愚者は再々胞胎に入る(即ち輪廻す)。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二三 象品 六七頁) 大豚のごとく 餌に育てられたる大豚のごとく、眠りを好み…

原始仏教講座 第三講 その十七

第三講 その十七そういう努力ではなくて精進、目的意識をもって正しい努力をして、喜びを持って正しい努力をしていくということです。やりすぎない。やり足らないということでもない。 正念、これが仏教の一つの特徴。正念、正定が特徴です。正念というのは…

経集 45

45.若し聡明なる友を-共に行じ、よく住する賢者を-汝等得なば、一切諸の危険に打勝ちて、彼と共に愉快に念ありて応に遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 十六頁) 若しも信の人 敬虔な人 智慧の人なる、明敏な友を得た…

心の安らぎ

「心の安らぎ」 田辺聖恵 後生があるか 日本は無宗教の国と云われる。なるほど、お正月には国中の半数位の人々が、お宮詣りをするし、天皇陛下の許に参賀する人も多い。 お墓作りも百万円以上もかけて、立派にする向きも多く、お坊さん方は毎日お経をあげに…

釈尊の聖句 324

324 ダナパーラカと名づくる象は、発情して顳顬より苦汁を分泌し、抑制し難く、縛せられて一片の餌をも食はず。この象は象の林を念ふ。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二三 象品 六七頁) 愛欲と自制 ダナパーラカと名づくる象は、けげしきさか…

原始仏教講座 第三講 その十六

第三講 その十六人間はそんなに努力するようになっていない。動物見れば分る。努力していない。すずめでも大半は木の枝でチュンチュンチュンチュン遊んでいる。ご飯撒いておくと時々降りてきて食べる。一気に食べない、少しづつ二三日かけて減っていく。あま…

仏教者の生き方

『仏教者の生き方』 人間いかにあるか 縁によって向上向下する存在である 学習をしなければ自分中心の固まりになる 人間いかにあるべきか 一切は縁によるとの真理性を学習体験し 愛他優先を喜び互恵的に生きる事である 真の安らぎは積極行動にしかない 縁に…

釈尊の聖句 323

323 之等の牽獣によりては未到の境(涅槃)に到ることなからん、調御せられたる人が、よく調御せられたる自己を調御せられたる牽獣として到るが如くに。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二三 象品 六七頁) まことの乗物 これらの乗物によりては…

原始仏教講座 第三講 その十五

第三講 その十五正精進というのは、これは一般的にいって努力するということです。しかし努力と精進とは言葉上ちょっと違う。苦しんでやるのが努力です。精進というのは喜んでやるということです。喜んで努力するということです。それはもう解脱するという最…

経集 44

44.落葉せし晝度樹の如く、鬚髪厳飾等の世俗の相を取り除き、道精進の雄者は世俗の結縛を断じて、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 十六頁) 葉の落ちたコヴィラーラの木のように、世俗の生活のしる…

山頭火に寄せて 帰らざる旅

『帰らざる旅』 昼食を野良猫にたべられ そのたべ残しをありがたく頂き 犬がくわえてきた餅をもらう 経五寸ほどの大きな餅を 最後の托鉢と書きしるす山頭火 自分は あまりに頑健だとも 日記がと絶えて 翌日倒れ その翌日 帰らざる旅に立った はてしない 巡礼…

釈尊の聖句 318

318 罪なきことを罪ありと思ひ、罪あることを罪なしと見る、邪見を懐ける衆生は悪趣に到る。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二二 地獄品 六六頁) 罪とは何か 罪なきことに罪ありと思い、罪あることに罪なしとみる。あやまれる考えをいだきて、…

原始仏教講座 第三講 その十四

第三講 その十四正語の次が正行、正しい行い。正しい修行でもあるわけです。次の正命、正しく命を永らえるということで、正しく生活するということです。活命、生き生きと生きるということです。ということは宗教者は宗教者として生きると、生きる生き方が問…

仏教者

『仏教者』 釈尊が教え説かれる縁起法を学んで ものの考え方の基準とするのでなければ その人の人生観は定まらず仏教者とは言えない 縁起の真理法を知って分かって 毎日々々それを思い続けるのでなければ その人の心底は転換せず仏教者とは言えない 理性感情…

釈尊の聖句 314

314 悪業は為さゞるこそ勝れ、後に至りて悪業は人を苦しむ。善業は為すこそ勝れ、そを為して苦しむことなし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二二 地獄品 六六頁) 善悪の実践 悪しき行いはなさざるがよりすぐれたり。悪しき行いはのちにその人…

山頭火に寄せて 末路を見る

『末路を見る』 彼にふさわしくない戦時下になって 志気高くあらねばならぬと 己を叱かりつゝも月をながめる山頭火 少々のお金が入ると早速に ふみ割った下駄の代りを買い まず一杯と酒にありつく山頭火 酒が己の公案だなどと格好をつけて 力んではみるもの…

原始仏教講座 第三講 その十三

第三講 その十三日本仏教はなにか非常に哲学的に成仏する成仏する、どうしたら成仏出来るかという話になるが、仏とはなにかがはっきりしないから、仏になる、なったのかがはっきりしない。お釈迦様は成仏するとは言っておられない。静けきニバーナ、解脱へ導…

最高の幸せへ向上

最高の幸せへ向上 田辺聖恵一、他の相に心の向けよ−転想の第一歩 二、悪しき思いのわざわいを調べよ−人生観の学習、善悪を明察。 三、思わざるかごとくせよ−無想の決意 四、思いの原因を調べよ−個別性の調査 五、堅き心にておさえよ−静坐の訓練目的−苦滅〜煩…

釈尊の聖句 312

312 懈怠の行為、汚れたる戒行、逡巡せる梵行、かゝるものに大果なし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二二 地獄品 六五頁) 清浄の行 ゆるみたる行い、けがされたる規律、ためらいつゝなす清浄行、かゝるものに大いなる結果はなし。(田辺聖恵…

静思湧言

やりぬくことが第一、上手下手は第二第三。 燃え上るもの噴き出すものがある時、ホンモノ人生となる。 私よりもっと近いもの、それが大いなるもの。 人に対して感銘、自然に対して畏敬。 いのちへの讃歌、真実への嘆声。 内向性のものに欠けるのが「思いっき…

原始仏教講座 第三講 その十ニ

第三講 その十二行き着いた人がいない。成仏するというが、成仏するというのはまだ成仏していないということでしょう。成仏しているなら、成仏とは言わない。仏になったです。成仏は仏になったではない、なるです。なるというのはプロセスです。日本仏教は全…

釈尊の聖句 309

309 放逸にして他人の妻を犯す人は、次の四事に達す。罪業を得ること、安臥せざること、第三に誹謗、第四に地獄。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二二 地獄品 六五頁) ふしだら ふしだらにして他人の妻に近づくものは、四つのものにおち入る。…

原始仏教講座 第三講 その十一

第三講 その十一これは修行者にとって、覚った人は矢張り信者さんから丁重に扱われますよね、当然。だから覚っていないのに覚っていると言うのが実はうその内容。仏教でうそは言ってはいけないというのは、覚っていないのに覚ったと言ってはならないというわ…

経集 43

43.一類の出家者は摂益すること難し、家に住する在家者も亦然なり。他人の子女に執心あることなく、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 犀角経 十六頁) 出家の人の中にも広やかに人を容れない者があるが、在…