仏教による幸福への成功方式 #75(第九章ダンマ 大慈悲 あなたも持っている感応力)

あなたも持っている感応力

かねて思いわずらうことのみ多くて、心の力全部が能率よく使われることは少ないのですが、昔の人は直感力が強かったものです。それの更に強いのは感応力(霊能力とも言う)で、これは人間本来すべての人々が持っているのです。蟻が甘いものに遠くから寄ってくるように動物的な不思議と思われるような力(特殊経験のくりかえしと遺伝によって強化された能力-字が上手な家系があるのと同じ)を人間も動物だから持っているのが当然です。それが薄れたのは欲心が強くなりすぎ、道具を使い又作ることから物に頼り物による快楽を求めすぎて、食物を無駄にし物質文化の進みすぎ(精神文化はずっとおくれている、二、三十年前とあまり変わらない-ただ複雑になっただけ)から生命の基本的要素である食物への不足と不安が次の欲心をかりたてて、世界的不安と不和を造り出してしまったのです。世界の和合は疑心暗鬼の戦争準備を止め、独占資本家が財施に徹底して社会をうるおし(共産主義者イデオロギー固執を止め)労働意欲を向上させて一般の水準を高めて財的に精神的に中道化してゆくのが根本道です。
 
さてその精神的中道とは感応力の啓発ということでもあるのです。焦りに疲れた表の心を冷静にしほとんど働かぬようにし、奥の心のみに精神を統一します。それには正息法を利用するのが近道。次に自分が知りたいと思うこと例えば子供の病気が何の因縁であろうかと知りたい時、奥の心のしかも一番奥の仏心におたずねすると、祖父の命日が近いといったピーンとくることがあります。それでその供養をすれば実際に子供の病気がよくなるといった具合です。自分のことについては、自己催眠術だと言えましょうが、子供や他人の問題が分かりその通りに解決すれば実際によくなるのは経験したことのない人には到底信じられないことでしょう。しかしこの精神の統一(正念)と等和(正定サマーディ)は仏教原理の理解によって誰しも出来、それによって本来持っている力を啓発できるのです。別に不思議でもインチキでもなく又さほどの難行も要しません。ただし火渡りとか刃渡りとかの特殊な訓練と精神統一を要するものは苦行に近いもので、苦行はおろかなことだと世尊は止められました。世尊が説かれた方法は八正道であり四禅なので、自らも毎日実行なさっておられました。その結果やがて三明や六神通が得られると言われました。

三明とは
 宿命知通-その人の過去(因と縁)について見透せる。
 天眼通-その人の将来(現在の果)について見透せる。
 漏尽通-漏(迷と苦)をすっかりなくした状態に通じる。

の三つの通力ことであなたもこうなるのです。しかし目的は漏尽通(苦滅正覚)の体得にあるのですか
ら、それに対する精進するのです、そしてその副産物のように他の神通も得られるようになるのです。もし苦滅(個人の完成)という目的を持たずにただ宿命知通や千里眼、祈祷による病気治しの力を授かりたいと修行すればなるほど得られますが、正見がない為に無智な狐つきや死霊がついた何がついたといったつきものの信仰になり易いし、それから向上することもむずかしいのです。なぜなら特殊な力を誇りそれに多少の教義を作りつけ足し、新興宗教家になったりするのが精一杯なのです。あなたまでそうしたコースを通ってはなりません。あなたがまことの仏教徒となろうと思うなら決して盲目的で、大自然にまかせきるとか、神のおぼしめしのままとか言った美しい言葉に誘惑されることなくはっきりと第一の目的苦滅の体験へと進まねばなりません。その上でお滝にかかったり、断食をしたり礼拝をしたりすれば精神統一はもっとしやすくなるでしょう。実際心身の統一がなかったならお滝には中々かかれるものではありません。ここで注意をせねばならぬのは統一(一種の緊張)は出来ても開放がないと遂に精神的分裂まで起こし易いことです。この統一の価値は次の高次の段階サマーディ(等和、一種の調和)に入って時空を超越してまことの霊的な感応の世界に静かに浸り、そのサマーディを持ち続けて、世俗を行じ救導して大衆をサマーディに入らせることです。それによって個人を清浄化し、清浄化された個人の集団社会を再構成することによって浄土化をはかるという仏陀行がなされるのです。正念と正定のくりかえしこそ心身のこの上もない修行であり向上であります。緊張と開放、吸収と融合、これは下は菌から上は人間までまことの生命の働きであり法則でもあるのです。
 
何卒、八正道(正行原理)による精神感応法を修行して下さい。ここに信仰の喜びも力も無限に汲みとることが出来ます。こうした正念正定をもって正見を体得する為の正行をつみ上げてゆくと、世俗的にも一寸した病気など当人を静かに寝せて右手を軽く頭又は胸部のところの上にすれすれにかざしてよくなることを正念し、次にサマーディに入る(五分内外-出来れば三十分)これをくりかえして下さい。一、二回は駄目でも必ず成功する時があります。勿論正しい薬を使って結構ですし、心配な時は医者に診て貰うべきで、その上になさるとよいわけです。このように誰にでも与えられている霊能力によって精神感応を受け、或いは与えることによって信仰の味わいは深くなり、大きな宝となってあなたの一生を豊かにしてくれます。 

 六神通とは右の三明に更に
 天耳通-なんとなく天からあるいは心の内部からピーンと感じを受ける。
 他心知通-他人の心が直感できる。
 変境通-一瞬にして遠くに姿を表す。

の三つを加えることで、この内漏尽通を除いた五つは仏教徒でなくとも可能だし、畜生でも得られるとされています。だから畜生にだまされるという話も出てきますが、これは無智や恐怖心が自己催眠をさせ、幻視や幻聴によって夢遊的に行動するということが大半だったと思われます。現代人はもっと強大な物質にだまされ、あやまれる幸福を求めて夢遊的に行動していると見るべきで、ここに漏尽通つまり無明と愛欲による幻覚をふりすてて、心身と物、社会と世界と浄土について正見する正覚することが必要となってきます。すべてのものは無限の求心運動なり、或いは平等相なり、生もなく又死もなし縁起流転があるのみ、そしてそこに仏心の働きこそ必要であるという境地へと進んでくるものです。
 
漏尽苦滅を目的とし他の五神通を目的としてはなりません。しかしいつの間にかその中の一つ二つは得られるものですが、どこまでもこの神通は苦滅の目的の為にのみ使われるべきで慈悲の心からなされねばなりません。
(実例)本日、六十すぎの婦人がこられました。病苦に疲れ、痛みでじっと長く腰かけてもおられないのです。子宮ガンを昨年除去し、又今年更に出血と痛みがあり手術したところ痛み止まらず、その後がはれて歩くにも不自由で三度目の手術をせねばならぬという。話の途中に父の代に畜生の殺生の苦因があるという感応を得たので告げると、主人の父がばくろうで、主人も前にばくろうとしてかなりトサツ場に馬を売ったと言う。子供は足と手の関節がはれてどうにも治らず不具になっているし、主人の妹は同じように関節がはれ十年近くも苦しみこの頃少しよくなったと。あなたのはガンでなく子宮コブのはずだがと言うと別の医者もそう言ったという。さてあわれな話なので共々に祈念をすると、主人せきをしやせているはず、祖父酒をのみ争いで、怨みを受けたと、又円い水面が感得されたので、そのように告げると、祖父は死ぬまで大酒のみであったし、自分の子が戦時中の防火用水プールに人におされて落ち込み、人に助けられたという。又難産した子が脳水腫で二百何十日目かに死せりと。それらは殺生の果いなので誰かが死ぬべきところなのかも知れないが、誰か信仰心の深い人によって救われていますねと言うと、この人の父が熱心な仏教信者であったと言う。この人の義母に子宮ガンの人があったことなどを考え合わせると一連のケースのつながりが分かります。つまり感応力がなくとも理づめでも因果関係が分かります。


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