2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧
「考える練習2」 考えるということは、考えるということで練習をしなければ出来ない。人間を考えるというためには、時間を作らなければならない。人間を考える場合には物を作る時間と人間を考える時間と別に持たなければなければならない。人間を考える時間…
『感動燃焼』 掘り出す 生み出す 企画する 達成する それはお祭り騒ぎだ 何年も何年も調査する いよいよ ここが本番 そこで命を燃焼させる 道が無ければ 道を作る 燃料が無ければ仕入れる ゴ-ルはまさにゴ-ルド [感動燃焼] 情報化時代などと言うが、どん…
根本真理(二) すべてのもの、ものごと、人間が、変化するという原理、縁起という根本真理は、それを分けて考えますと、次ぎの内容を持っています。 1、自由―もし人間が、誰かによって作られ、永久に変わるものでないとすれば、私たちはこうなりたいああな…
聖僧は、臨終の地を京都に選んでいる!その行為は自発的のものであろうか?或いは、余儀なき事情のあった故のものであろうか?そのことに対しては、私の想像するところに依れば、禅林寺脱走以後の聖僧は、もはや、自然と労働とに親しむ以外には、この人生に…
第十一章 三寶運動 仏陀はあなたに期待す 仏教は一応個人の苦滅という目的をかかげて幸福を追求するものではありますが、仏教的世界観、人生観が段々熟してくると結局、他の人々の幸福を願うより外にまことの幸福はないというところに行きつきます。仏陀世尊…
『三宝帰依』 ブッダ理想者に帰依したてまつる 自ら真理を発見し苦悩を解決し 人々に真の生き方を導く理想者 ダンマ真理に帰依したてまつる 人と自然に普遍せる縁起の法則 その体得によって人は充実する サンガ仲間に帰依したてまつる 真理を学習し伝承する…
清き説法 「ビクらよ、ビクの清からぬ説法と、清き説法とはいかなるものなるや。人々がその説法を聞くことを、また聞きて喜びのしるしを見することを願うてなす説法は清からず。正法は世尊によりて善く説かれ、正見にして、時をおかず(仮りならず)来たりて…
『役立ち』 庭の小さな柿の木の その柿の実を数えたら九十数個 それがみんなヘタだけ枝に残っている まあ三分の一が落ちたにしても あとはみんな鳥がたべたとしたら これはずい分お役に立った事になる 小は小なりに 大は大なりに お互いが役に立つ 恵み合う …
「考えることを習慣化する」 だから頭のある人間は余計使わなければ、当然問に合わないわけで、教育問題もガタガタしているけれども、考えるというのは、発表する能力と、考える能力とは一種の相乗効果というか、相関関係にある。考えも発表しないと進まない…
Ⅴ、根本真理(一) 人間一般は何を求めているのであろうか。他の人はともかく、自分は一体何を求めるのであろうか。このように疑問を持つようになって初めて、人間として成長してきたと云えます。うまいものを腹一杯食べ、遊んで暮らし、しのびよる死の影に…
最後のいましめ 「鍛工の子であるチュンダの施食を食したまいし世尊は、毒茸にて重き赤痢の病にかかられ、赤き血をほとばしり出で死ぬほどの激しき痛みを受けられたり。世尊は正念して自覚し、なやまされずして苦痛を耐えたまえり。そして世尊は尊者アナンに…
『生命への畏敬感謝』 病気をしてみて誰でも健康を願う その為にはまず自己認識が必要だ どの様な生き方をしてきたのかと 死ぬ程の思いをする様になって 生命の有り難さを考えるものだ 生命の尊さをも考えさせられる 幸福をひたすらに求めるだけでは その人…
(第三一項) 浄 福 世尊、サーバッテイーの祇園精舎にとどまりたもう時、一人のうるわしき神、夜ふけて祇園全体を輝かしつつ、ブッダのみもとに近づき、挨拶をなして問いたてまつれり。 「多くの神々や人々は、最上の浄福を考え 求むるなり。願わくば世尊、…
『真理の生き方学』 真理法則を中心にして生きる これ程確かな生き方学はない これこそが生きる根拠となる 縁起の真理を中心にして 釈尊は互恵に徹しられた 人々の導きに徹しられた 真理体得をめざす弟子衆は 釈尊に学び師と共に生きて 生き方学の継承をはた…
十、臨終 聖僧は、もはや、肉体的に勤労生活には堪え難い苦痛を覚える老齢に達するに至って、そこに大きな諦めをもって、庵を結んで、再び行乞生活を初めるに至っているが、その生活の思想的根底は、『最少の布施によって生きたい』という思想であった。その…
『片隅で』 キジバトが枯草を一本一本 くわえては飛び立つからには 近くの木に巣作りの働きだろう このほったらかしで枯草の裏庭は 一羽のモズ数羽のツグミのえさ場だ 少しづつまく麦をシメがついばみにくる ほんのわずかだがお役に立ってるのは まるでこの…
やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 田辺聖恵 「人間を考える時間を持つ」 企業の中で人間ということをどう考えるかという場合に、一応切り離して、人間は人間というものとして考えないと、企業の中で人間は如何にあるべきかとか、いかに人間を考…
Ⅳ、実行原理(二) 口先だけで、立板に水を流すようにペラペラとしやべればセールスが出来るなどと思ったのは昔のこと。しかし今でも自分は口下手だからセールスには向かないと思いこんでいる人は多い。売って儲けることをセールスと思いこんでの話。それは…
四大と死 人間は正覚すれば不死であるという。いや不死を正覚するのですが、では一体死とは何か、世尊はこう教えられました。 知-骨、内蔵等カルシュウム、蛋白質その他 水-目汁、鼻汁、血液、淋巴液等の水分 四 空 火-体温、食物消化による熱エネルギー …
マハーカッサパの入門 時に世尊、竹林精舎に住したまい、バラモンの家に生まれ、学業を終えて婚姻したれど、夫妻共に世俗の欲楽を求めず、たがいに語りて、ともども外教に入りしマハーカッサパの、機縁熟したるを知りたまえる世尊は、精舎を出でて北東に進み…
『求められる宗教』 宗教を思想枠組みとして捉えれば 自己解釈や整理も出来るであろうが 心の高まり深まりにはなりにくい 神仏を信仰として崇めれば 心の支え依り所とはなるが 理知的欲求は満たされにくい 思想性と信仰性を兼ね備える 今やその様な宗教が求…
『心支えの上に』 趣味や生き甲斐も必要だが 生かされ意識は心の支えだ そこから真の生き方が生じる 豊かさも確かに必要だが 大いなるものへの心向けが その人生を真実にしてゆく 日々の喜び楽しみも必要だが 真の喜びを分かち合うならば 替えがたい実りの人…
2、勤労生活と引受人の問題 前述の如く、当時は勤労力過剰の時代であったが、また、当時は、治安の不完全なる社会状態であった。例を挙ぐれば、聖僧に対するその伝記の中に見ゆる、大阪の法巌寺一件の如きがそれであろう。法巌寺は無住の寺であった。それは…
『取り柄』 自分のポイントは何だろうか 自分の取り柄は何だろうか 人と比べるという事ではなしに 涙もろいならそれも大いに結構 やり始めたら途中で止めたくない 人とうまくやるのを第一にする 大いに結構、一つでも二つでも 自分の取り柄をシッカリ固めて…
Ⅲ、実行原理(一) 問題を解決し、目的に到達するためには、やらねばなりません。現代人はすべての面で自信を失っています。異状とゆかぬまでも半ノイローゼといった人が多いのはまことに困ったことです。 青年がよく訴えます。「うちこんでやれるような仕事…
入滅を何故されたか 世尊は八十一才(或いは八十才)で肉体を捨てられたのですが、お弟子達はこの理想的人格完成者である仏陀が、何故神通力をもって持ちこたえることが出来ず、凡夫と同じように死なねばならぬのだろうか、それではありがたくないではないか…
ディーガナカの入信 時に世尊、ラージヤガハの東北、ギッジャクータ山のスーカラカターアナに住した まえり。サーリプックの叔父 ディーガナカ行者、来たりて世尊に問えり。 「世尊よ、われは一切を認めざる主義なり」 「ディーガナカよ、一切を認めずという…
『意識具現』 どの様な自己意識であるにしても それは体験化され行動化され それは体認され体現されるべきだ どの様な他者意識であるにしても それは理解され検討がなされ それは程度容認がなされるべきだ どの様な普遍意識であるにしても それは具体化され…
実行方式 目的が確立したと仮にします。そうすると段々実行意欲がわいてくる。しかしどういうふうに実行していいかが分からないという場合にその次になる。 実行するんですが、方式がある、やり方がある。実行するといっても、やり方にそった実行でないと、…
『私でない部分』 生かされの意識があれば 己を私するわけにはゆかない 私本位でない部分があるから 現代人に最も希薄な観念が 今こそは最も必要な意識だ それが混沌の原因だからだ 生かされの事実認識によって 生き方がどの様に更新されるか それが私でない…