2009-11-16から1日間の記事一覧

静思合掌

『静思合掌』 静思せよジェーナをせよ 思うでもなく思わないでもなく 真理真実を静かに瞑想せよ 一切の因一切の縁によって己が成り その己が一切を瞑想する不思議 自他の壁がとれれば和して円融 在るがままにあり 在るがままにあらせられる 初めもなく終わり…

生き方メッセージ #30(人間時代)

『人間時代』 適確に時代が変わりつつある 共に学び共に協業する時代だ タテ割りの管理時代の終わりだ よりよく仕事しよりよく遊び よりよく人間らしさを求める 人間経営の時代の始まりだ 人間そのものへの共感 人間そのものへの友愛 人間賛歌の時代が来てい…

人間は何のために生きるのか (その二)

生き方とは 人間は何の為に生きるかという事を考えないで生きる人、それは生き方として、考えて生きていることにはならない。ただ仕事を考え家庭の幸せを考え、白分が欲しいものを求めてというような生き方だからそれは生き方とはいわないわけです。 生き方…

勤労の聖僧 桃水 #35(7、桃水禅師と良寛禅師 その三)

斯くて、その夜も明けて、翌朝になったものだから、二人は、その仮の宿から出た。それから、坂本の町では袖乞いをした。それから、堅田の方へ向って、疲れた足を搬んでいる時のことであった。二人は、偶然にも路ばたに弊れて死んでいる年老いた乞食のあるの…

松尾多勢子 「やじより」 第十幕

戊辰戦争により長州藩の若者は不在で、ただ一人、岩倉具視だけが 「留まりあれ」 と執拗に勧めてきた。 実は岩倉具視にはひとつの考えがある。多勢子に客分として岩倉家の奥を任せようというものである。 「ここにおれば、そのうち長州はんも帰られる。品川…

釈尊が説く法句経

「釈尊が説く法句経」 第一章 対句 ものみな心を先導とし、心を最上とし、心よりなる。けが れたる心にてもの言いかつ行うなれば、ひく牛の足に車輪が 従ごうがごとく、苦しみが従いきたるなり。一 ものみな心を先導とし、心を最上とし、心よりなる。清き 心…

仏教による幸福への成功方式 #66(第八章ダンマ 六度 四果)

四果 四禅法を実行するとどういう結果が得られるかについて簡単に勉強すると。 第一禅→(予流果)仏教という生き生きとして死ぬことのない大きな信仰の流れに自分も予(あずか)り入り、再び他の宗教に迷い込むということのない確信の喜びの状態です。ここま…

何を求め何をなすか

『何を求め何をなすか』 己を問うことが何故難しいのか 何を求めるべきか分かぬという 人間の根幹に関わる事だからだ 己を存在せしめるものは何か それは単なる自我欲ではない 己に関わってくる一切である 己と一切との連環に徹する時 何をなすべきかが明確…

三宝聖典 第一部 第十八項 ヤサの入門

ヤサの入門 その時、ベナレスにヤサと名づくる長者の子あり。富める家柄の出にして心こまやかなり。世間に対し、いといの心を生じミガダーヤに向えり。 世尊は早朝に起き、野外にて念じ歩みたまえり。世尊は善男子ヤサの遠くより来たるを見、その場よりおり…