2009-11-09から1日間の記事一覧

三宝聖典のあとがき

「三宝聖典(原始経典の現代語抄訳)を自費出版するというのが私の心願・初心である。」田辺聖恵師の、この文章を見付けて、あとがきを先に出すべきだったと反省。自費出版の為に、印刷機を購入して体制づくりは整ったものの、現実は遺族により、普通に印刷…

生き方メッセージ #24(確信を主に)

『確信を主に』 前に行こうと思えば 体が自然に前へ行く 心が体の主だからだ もの事の成り行きでも 自分に関わる事ならば 自分の確信が主になる 人間らしく生きるためには 確信による行動をする事だ 自己の存在価値を現す事だ [確信を主に] 何か不調が重な…

松尾多勢子 「やじより」 第四幕

第四幕 この年、長州派公卿のひとりである姉小路公知が暗殺される。 さては徳川派公卿の差金かと、その意趣返しに幕府用人から連なる者にまで、京都市中は凄惨な暗殺が連日連夜行なわれた。天誅暗殺の血飛沫がいよいよ苛烈を極めると、それを取り締まる新選…

仏教による幸福への成功方式 #57(第七章ダンマ 四聖諦 安産について)

安産について 安産とは出産と同じ意味で自然的な生殖本能の現われだから正しい食欲、正しい性欲と同じに苦痛であるべきはずがない。ところが段々不妊、流産、難産が増えるのは何故か。それは心因による病気が増えるのと同じことである。高等動物つまり精神要…

勤労の聖僧 桃水 #29(6、禅林寺時代 その四)

私は、田中氏の思想する世界を観て、斯く想像する。 田中氏の、『愚直』或いは『魯鈍』に対する把握の仕方は、それに就いての現象型態的なるものを把握するに止まり、本質的なるものを把握しないのではなかろうか?―これを砕けていえば、『捉え方が上滑り』…

法句選 #25(聖典学習)

『聖典学習』 読み唱えざるは聖典のけがれ いかに優れたお経や教えでも 学習されねば無きに等しくなる 仕事や生活また宗教においても それを勤勉に行うのでなければ その人の実りになることはない 信じて次第に理解を深め実行する それらが真理を中心にする…

私を越える

『私を越える』 私の生きる死ぬに関わらず 一切は縁起し変化してゆく それは私を越えての世界だ 私が生きるのも有り難い事だし 私が死ぬのも有り難い事なのだ 理法を外れての生き死にはない 私が生きる事の意味合いとは 理法通りを気付かせられる事 こうして…

三宝聖典 第一部 第十一項 初転法輪

第11項 初転法輪 時に世尊に思いが生じたり。 誰がためにまず法を説くべきか。誰かすみやかにこの法を悟るならん。智者にしてけがれなきアーラーラは死してすでに七日なり。賢者にして心定まれるウッダカは昨夜死せり。 我熱心に精進せし時、われによく仕…