2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

釈尊の聖言 「難事は師」

釈尊の聖言 「難事は師」 広く学び深くきわむることは難く、初学の人を軽んぜざることは難く、また我慢を除くことは難し。善友に逢うことは難く性を見、道を学ぶことは難く、境遇に対して動かされざるは難し。相手に応じて人を救うことは難く、心を平らかに…

経集 99 100

99 「第四のかの敗亡者は、これ斯の如しと我等は識れり。第五をば世尊は語りたまへ、何が敗亡者の敗亡への門なりや」。(南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 六 敗亡経 三七頁) 第四の没落者が仰言る通りなのはよく解りました。では世尊よ、第五の…

不透明心

『不透明心』 どの様な仕事をし どの様に仕事をするか いかにも大切ではあるがそれだけでいいか その様な反省を人は持てるであろうか どの様な生活を どの程度に生活するか 生活ぶりを物本位の外形で考えていいか 生活の中心である心の在り方はどうか どの様…

釈尊の聖言 「難事に向かう」

釈尊の聖言 世に二十の難事あり。貧しくして施すことは難く、貴くして道を学ぶことは難く、命を 捨てて道を求むることは難し。 ブッダの経を見ることは難く、ブッダの世に逢うことは難し。むさぼりを忍び離るることは難く、好ましきものを見て求めざるは難し…

経集 97 98

97 「第三のかの敗亡者は、これ斯の如しと我等は識れり。第四をば世尊は語りたまへ、何が敗亡者の敗亡への門なりや」。(南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 六 敗亡経 三七頁) 第三の没落者が仰言る通りなのはよく解りました。では世尊よ、第四の…

人間として生きる

『人間として生きる』 どこであろうと どんな時であろうと 磁石が黙々と北を指すように 人間が目指す一点がなければならない 理知的であろうと 感情的であろうと 一本の木がずうっと木であるように 人間として統合されてなければならない 孤独型であろうと …

釈尊の聖言 「施す幸い」

釈尊の聖言 人の施すを見て、これを助けて喜ぶなれば、幸いを得るなり。ここにたいまつありて、数百数千の人々、そのたいまつより火を取り、食を煮、また闇を除くとも、初めのたいまつはもとのごとく、施すことの幸いも滅びることなし。 「施す幸い」 後期仏…

静思湧言

立腰と静思は互恵相関。 人間の中にある自然に気付く一生。 酔生夢死と似て非なる鳥声無死。 本当のオリンピックとは自己理解度レース。 発想の価値は受想の豊富さにある。 朝の明けは素早く、夕べの暮れはゆっくり。生死に似る。 起きて寝る人と寝てから起…

譲施互恵

『譲施互恵』 譲施互恵 折々に譲り合い施し合う 時には競い合い磨き合う事も必要だが 譲施こそ和合を実現する常道であろう 人と人 人と物 人と自然 人と道 すべてが関わり合って存在する以上 相関し互恵すると知らねばならない 譲り合い施し合う事が難しいの…

釈尊の聖言 「怒りの供養」

釈尊の聖言 人ありてわれをそしるも、われはいつくしみをもちて、かれを守らん。かれもし重ねてわれをそしるも、われは重ねて善をもちてかれに向かわん。福徳の気は常にここにあり、そこないの気と禍いはかれにあり。 愚かなるものが、われにせまりてわれを…

経集 96

96 「睡眠を事とし、集会を事とし、また懶惰にして奮起することなく、忿を自己の標識とする人、これ敗亡者の敗亡への門なり」。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 六 敗亡経 三六頁) いつもねむそうにしていて、人の集まりを好み、生気がなく、…

和合聖全

『和合聖全』 和合聖全 人類がめざすト−タル 一人々々の心に平和と安らぎ喜びを 地球の隅々にも平和と安らぎ喜びを ただ単に戦争がないというだけでなく 一人々々がより自立的でより充実的で 地球の隅々にも和合が広がるように ただ単に自分の幸福というだけ…

釈尊の聖言 「修道者シャモン」

釈尊の聖言 シャモンは欲を断ち、愛を去り、わが心の源を知り、ブッダの深き大智に達し、無為を覚り、内に得るところなく、道につながれず、業に結ばるることはなし。 思念なく、なすことなく、修むることなく、覚ることなくして、おのずから気高く尊きが道…

静思湧言

不安定とはそこから脱出しようと思わない事だ。 自己否定の難しさは肯定予知がないからだ。 予知能力の最大は死及びその周辺。 ホワイトハウスとホワイトソースの共通点は中味がはっきりしない事だ。 これからの文章は漢字とひらがなと片カナの混合比。 成熟…

敬真自立

『敬真自立』 敬真自立なくして真の自己はない 真理真実 真の価値を尊敬せずに 自分中心であればまさに未熟だ 右を見左を見の日和見では 日々 真の依り所を持たず この不安定は自己消耗になる 敬真志向こそ自己の存在価値 敬真実現こそ自己の存在内容 こうし…

釈尊の聖言 「聖者」

釈尊の聖言 「聖者」 親族を離れ、家を出で、心を知りてその本に至り、偽りなき法を覚るをシャモンと言う。常に二百五十戒を保ち、四つの真の道を行い、向上に志し、清らかにしてアラハンとなる。アラハンは愛欲を断ち、煩悩を滅ぼし覚りを開きたる聖者なり…

経集 95

95 「第二のかの敗亡者は、これ斯の如しと我等は識れり。第三をば世尊は語りたまへ、何が敗亡ものの敗亡への門なりや」。(南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇 品 六 敗亡経 三六頁) 第二の没落者が仰る通りなのはよく解りました。では世尊よ、第三…

愛他優先

『愛他優先』 愛他優先 これは一つの理想だ 神とも仏とも言われる理想内容だ 人間一人々々そのように在りたい 我欲優先にとかくなり易いものだが それが良いとは誰も思ってはいない それは本当の自愛とは違うからだ 愛他心が次第々々に高まるにつれて 自愛心…

釈尊の聖言 「質問」

釈尊の聖言 ビクの仕事に熱心とは、不善の法を捨て、善法を生ぜしむるために熱心にはげむことなり。 ビクが保護者を得るとは、多く学びて経典に通じ、規律に通じたる長老のビクに質問なして、おおわれたるをあらわし、暗きを明かるみとなし、法に対する疑惑…

経集 94

94 「寂なき人々を彼は愛し、寂ある人々を愛するなく、不善なる人々の法を希ふ、これ敗亡者の敗亡への門なり」。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 六 敗亡経 三六頁) 不純な人が好きで、心の清い人を嫌ひ、よくないやり方を楽しむのが、没落の…

行動による変革の仏教

「行動による変革の仏教」 特に宗派の専門的な仏教書を読むというのでなく、ごく一般的な仏教入門書を読まれた方もかなり多いであろう。そうした入門書にはたいがい原始仏教つまり釈尊の教説にふれている。つまり「縁起説と四諦説」であると。そしてそれから…

釈尊の聖言 「見る眼」

釈尊の聖言 又保護者を得るとは、富める人がこの商人は眼あり、仕事に熱心にして妻子を養う働きあり、利子を入るる力ありと知りて、金を貸すことなり。 ビクらよ、かくの如く、ビクも又、見る眼あり、仕事に熱心にして保護者を得れば、法において非常なる進…

経集 93

93「第一のかの敗亡者は、これ斯の如しと我等は識れり。第二をば世尊は語りたまへ、何が敗亡者の敗亡への門なりや」。(南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 六 敗亡経 三六頁) 栄えるものが誰か、没落するものが誰かを知ることはたやすい。真理を…

原始仏教講座 第六講(最終講) その十六(完)

第六講 その十六 九、正しき行いをなし、清浄の行いをなし、聖なる真理を見、ニバーナを実証する、これぞ最上の浄福なり。こうなると宗教専門家と同じになってきますね。聖なる真理、縁起という真理を見、清浄の行いというのは、もう男女関係、夫婦関係もしな…

真の幸福を未だ知らず

「真の幸福を未だ知らず」 シヤ力族の王マハーナーマは釈尊の父が亡くなられた後、王となった釈尊の親族と思われるが、その様な関わりをぬきにして、一信者としてこの王は、釈尊やそのお弟子を供養し、法を聞く。この王はまず「世尊」と呼びかけ、その尊敬を…

静思湧言

質問―日本は自立国でしょうか? 生命をいじくるにつれて人格は低下する。 政治倫理どころか生命倫理を急がにゃならん。 地球は自転公転、人類は対立反転。 ソロバンと柔道-日本文化の粋。 今、私は地球に坐っている。まぎに快。 オールスター総出演!人類一…

釈尊の聖言 「ビクと商人」

釈尊の聖言 三つの素質とは昼も夜も仕事に熱心ならざることなり。ビクにして朝、サマーディに従わず、昼もサマーディに従わず、夜もサマーディに従わざれば、未だ得ざる功徳を得ることなく、すでに得たる功徳を増すことかたし。ビクらよ、商人に見る眼あり、…

原始仏教講座 第六講(最終講) その十五

第六講 その十五 七、敬けんにして、へりくだり、へりくだるということが重要な項目なんです。へりくだるの反対が高慢でしょ。慢心ですね。日本は経済発展してもうヨーロッパ旅行にでも行くと、札束持ってどんどん土産物買い漁るというわけです。戦争前アメ…

静思湧言

ゲーテもうらやむ生き方手作り。 鳥のくちばしはエサによって違う。人間の口調は職業によって違う。 立腰静思して爽快なれば良し。 愛他式発想は積重ねによって得られる。 神経症と紙一重の現代文明。 考える力は手作りから。 最高才は思索力。 分極推進力と…

尊敬と供養

「尊敬と供養」 供養というと先祖にお経を上げてもらう事、先祖供養の事と、大半の人が思っている。それはこの国の仏教が「三宝」への供養こそ真の仏教であるという事を説き明かしてこなかったからであろう。 かなりの高齢者でも三宝というものを聞いた事が…