仏教による幸福への成功方式 #61(第八章ダンマ 六度 互いに戒を守ろう)

互いに戒を守ろう

殺生がいけないように盗みも男女関係の乱れも、うそ偽りも酒もいけない。この仏教徒として最低ギリギリの五戒が正しく守られたなら刑務所などは不要となり老人ホームに改造されるでしょう。
 
この五戒は社会の浄土作りの大條件なのです。殺生は地獄道、盗みは餓鬼道、男女の乱れは畜生道につながるので、この三悪道があっては浄土と言えません。
 
この世を浄土作りするにはまず五戒を確立することから始めねばなりません。社会人が互いにこの五戒を守ることが政治よりも軍備よりも緊急事なのですが、誰もこれを大声で言う人がありません。家族にも学校も社会にもそしてお寺にもこの五戒はないのです。子供は行き当たりばったりの道徳論で育てられ遂に筋の通った背骨をもたずに大人になって、クラゲやイカのように苦の海を泳がねばなりません。あまりイカさない話です。こうした環境で子供が罪を作るのは当然すぎるので成人教育がいかに急がれねばならぬかが分かります。少年鑑別所を作る費用の一部を少年修養団に振り向けたならもっと生きるわけです。酒とタバコを独占してそれを女性にまで飲ませようとする、これこそ悪魔的行為ではないか。アヘンを取り締まるその一分を何故酒に振り向けぬのか。もしそれが国家財政上必要な悪だと言うなら(という発言をまだ用人?から聞いたことはないが)それ相当の謝罪広告か酒害白書でも出すべきであろう。   
 
互いに戒を守る為にはまず自ら実行せねばなりません。そして勇気と熱意とをもって、他にすすめねばなりません。獣肉は栄養として考えられ殺生とは無関係、映画のガンブームは殺生とスポーツと混同視、小説はカンツウ物でないと売れない。坊さんまで尼さんを売り物にするのではみ仏も冷や汗をかかれておられることでしょう。仏教徒には静かな喜びを支える為のきびしい戒があることを日本ではずっと昔から言わなくなってしまったのです。智慧に先走れば戒はいらなくなると考えたがる知恵者のにせ仏教がこうした破戒ブームを作り出したのでしょう。破戒を売り物にしてはいけない。破戒への懺悔はひそやかになされねばならない。もし宗教家が自己暴露を売り物にするとしたら、愛欲小説家精神的ストリッパーとあまり変わらないということになる。それは俗受けはするが仏道ではない。世尊はすべてを持つことが出来なくともあの素晴らしい独得のサマディ(正定)をぬかしてでも、戒と慧だけはぬかすことは出来ない、もしこの二つがなければ遂に仏教徒ではなくなるとはっきり言われました。戒を伴わぬ慧はないのです。又戒は正定への絶対的條件でもあります。酒のんだあげくの正定精神統一などあり得ましょうか。

仏教はありがたいばかりの甘い信仰ではないのです。又大乗がどうの空がどうのとむずかしいことで大衆を煙にまいたとて五戒が守られぬのではなんになりましょう。肉と酒と女これは何も現代だけではなく、世尊の時代には他の楽しみが少なかったからもっとはげしい渦をまいていたのです。世尊はそれから遠く離れよと言われました。愛欲の中に飛び込んでみ仏を讃嘆するということは余程の達人でなければできません。あなたが酒をのみ三人の美女にかこまれて青年に向上と感謝の道を説くことができるでしょうか。世尊は三人の妻を持ち十年の愛欲生活を経て遂に出家をなされました。そこまでふみ切れない私共はより清らかな家庭を作り、愛情を浄化させてせめてみ仏の弟子としての一分をつくそうではありませんか。愛欲はけしかけぬ限りいつか沈んでしまう時があるのです。その時をせめて待とうではありませんか。 

五戒を守る決心が出来たなら更に次の五つがあることを知るのもよいことです。合わせて十戒

1、自ら出家在家の仏教徒及び他の罪とがを説くなかれ、他にもなさせるなかれ。

2、自らを讃め他をくさすことなかれ、他にもなさせるなかれ。

3、自ら物おしみをし、他に物おしみさせるなかれ。

4、自ら怒り、他にも怒らせるなかれ。

5、自ら三宝をそしり、他にも三宝をそしらすなかれ。
 
ではこの十項目について積極的に善をなすには(十善戒)どうしたらよいか。

1、慈悲心を起こし、方便して一切衆生を救護すべし。2、慈悲心を起こして一切の人を助けて福を生じ楽を生ぜしむべし。3、淫を離れた浄法を人に与うべし。4、一切衆生に正語正見を生ぜしむべし。5、一切の酒を売ることを止めさせ明達の慧を生ぜしむべし。6、悪人を教化して善心を生ぜしむべし。7、くさしを自ら受け、悪事をば自らに向け好事をば他人に与うべし。8、貧しき人の求めるところに従い一切を与えよ。9、一切衆生の中に争いなからしめ、悲心を生ぜしむべし。10、一言にても仏陀をそしる言葉を聞いては三百の鉾で心をさされる思いを受け、他を教えて三宝をそしらせるなかれ。と梵網経にあります。この十戒を犯せば仏教徒ではなくなります。この十戒を守ることが父母に孝、師に従い、三宝を成就することになりこれが仏教徒なのです。まことに明快、心のくらやみを取り払うみ仏の大道です。

「過を示し、悪を責め、叱る人に逢うたならば、宝のありかを示す人のように、この賢き人に仕えよ。かかる人に仕えれば幸ありて禍なし」

「他をいましめよ。他に教えよ。善からぬ事をさけよ。かかる人は悪人に愛せられぬであろうが善人に愛せられるであろう」

                                   (法句経)

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