2009-11-12から1日間の記事一覧

『死縁』 -死を根底とした行き方- 死から始まる生 人間は死において平等(4/4)

「かり立てられて」 血縁が人よりも薄かった私は 中学生ごろから虚しさを感じていた それが本当の充実へと私をかり立てたようだ 生きている意味が分からないことには 生きていてもしょうがないと感じていた それが意味の発見へと私をかり立てたようだ 肉親が…

『死縁』 -死を根底とした行き方- 臨死 (3/4)

『荘厳なる死』 死というものは一つの足音を持っている それなのになかなかそれが聞きとれない 心がまるであらぬ方を向いているからだ 死というものに馴染みを持たねばならない あまたの他人や肉親のそれを通して 必らず自分の上にやってくるものだからだ 死…

『死縁』 -死を根底とした行き方- 遠い死 近い死(2/4)

遠い死 中学の四年早々で中途退学をしてしまった私は、父がやっていた飲食店の従業員、一つ歳上の娘さんと親しくなった。一人息子で兄弟ゲンカなどまるで知らないものが、身近な異性に心ひかれるのは当然すぎることであろう。交換日記というよりもただ一冊の…

『死縁』 -死を根底とした行き方- 死は突然のもの(1/4)

『死縁』 -死を根底とした行き方- 田辺聖恵 死は突然のもの 『生あるものは必らず死す』生者必滅、これは深く考える事もなく、ひごろ誰でも□に出すところである。それはことさら教えられての事ではないが、そうして□ならし、心ならしをしているのかも知れ…

死と生

『死と生』 突然の死は突然の悲しみであるが ただ悲しみで終らせるわけにはゆかない 死は死の意味を問いかけるものだ 時の流れはいよいよ早くなり 生存そのものが根底を洗われ 己の価値を見失う時代である 生を尊び生に感謝するためには 死がなぜあるのかを…

仏教による幸福への成功方式 #62(第八章ダンマ 六度 忍辱はよろい)

忍辱はよろい 今はボディガードなどと人を頼ろうとしますが昔は鎧で身を守ったものです。今ならさしづめ野球の審判が着けているプロテクターといったところ。常に公正な判断、何事も第三者のように冷静に批判すれば怒りの玉を受けないですみます。それでもは…

三宝聖典 第一部 第十四項 受戒

受戒 この時世尊、告げたまえり。 「すでに知れりコンダンニャ。」と。かくてその後、アンニャ・コンダンニャと、かれは、呼ばるる身となれり。かれはこの現在に深く法を知り、疑惑をはなれて恐れなきを得、世尊のみ教えのほかに頼るものなきを知り、世尊に…