仏教による幸福への成功方式 #58(第七章ダンマ 四聖諦 精神分析を自分でせよ)

精神分析を自分でせよ

自己を知るというのが仏教の基本的態度です。まず自己の心の中をのぞいてみる(内観)そしてそこに苦果を生み出す心因があればつまみとってしまうべきです。精神分析とはそれを心理学的にまとめた科学的方法なのですが、言葉こそ違え仏教と同じ内容です。
 
無智は不安と恐怖のもとになり、やがて逃げ出そうとし(避行)或いはおさえられた状態(抑圧)となり、それは怒りを生み出し、解決すべく、攻撃となって爆発します。
 
又一方は無智が生存本能、生殖本能となり性欲がその代表となり、この性欲が変態的になったり抑圧されたりして怒りと攻撃となってきます。この攻撃は三つの方向に向かいます。外部攻撃(犯罪)、内部攻撃(精神病)、肉体攻撃(病気)。
 
恐れ、性欲、抑圧などが苦しみと怒りの原因でそれは結局、無智からきているのです。愚痴→欲→怒りの三毒が苦の因であることとまるきり同じです。夫婦の愛情のゆがみの原因がこうした心因を持っていることに気づくとほとんどの愛情問題は正しく容易に解決できます。 近親愛-男子によくあることだが、母親に肉体的愛情を感じ父親を嫌うことがあります。青年期に夢の中で母親を愛しているのを夢がさめてから知り、自分は犬畜生のようであると悩みやがて自分は異常性欲者ではないかと不安になる。フロイドはこれをエディプス・コンプレックス(近親愛)と名づけ胎児が母体と離れるのをおそれ結合しておりたいという欲求の変化残存であると説明しました。一人息子と母親などが噂によくのぼります。いずれも心理的に大人になりきれていないからです。又一方では自分に不足するものを充足したいと思います。女子は立派な父親をもつているとそれと同じような夫を見つけようとします。いずれにしても人類は新生命を作り存続させる為に異性を求めるのが当然ですから近親の停滞的な愛情のゆがみを訂正しなければなりません。
 
こうして精神分析は潜在意識(奥の心)にさかのぼって、それを明るみに出して精神身体医学の基礎を作りました。惜しいことには数代前の過去にさかのぼって心因を調べるということが出来なかった為にその精神療法は二、三年もかかる手ぬるいものとなりました。
 
仏教は宿命知通(過去を直感する感応力)によって過去の心因をしらべてその心因の除去をするから最も合理的でかつ徹底的効果をあげる、つまり正定によって誰でもこの宿命知通を得、正念正定によって先祖が感受し形成した念(それが子孫に奥の心として受け継がれている)と、自分が感受し形成した念をはっきり浮き上がらせ知ることが出来るのである。この奥の心に沈んでいた念の影響を無視して私共の心身の行動というものは出てこないのです。この奥の心は根深くそして大きな影響力を持っているのですが、主として感情的ゆがみ(悪い心因)が多いので、これを解決せねば表の心で幸福を感じ味わうことも出来ないわけです。フロイドはこの奥の心を科学的に見せてくれましたが先祖までさかのぼることが出来ませんでした。西洋には生まれ変わり、心の流れという考え方がないから無理もありません。
 
世尊は実際しばしば人々の前世の生活がこんなであったから今こうした果を受けるのだ。故に今善い生活に転換すれば来世は善果を受けるとはっきり因縁話として説かれました。多くの僧侶はこれを作り話こじつけとしてさっと通りこしてこれを後の人々のつけ足しだと言ってきました。自分にそうした過去を知る力がないから、世尊がそんな迷信的なことなさるはずがないと自分の力量で師をまして仏陀を推し量ってはなりません。さて自己と先祖の心因を調べることが出来たならば、半分は解決できたのです(腹を立てた時、その怒りを外部にたたきつけると半分スッとするのと同じ)あとの半分は八正道祈念法によって人格改造し、その心因を消除してしまえば完全な幸福。
 
今まで少々でしたが実例をはさんだのは自己の心因を調べる参考にしたのです。自分のきれいな心を強調せずとも自惚れは大概持っているからそれはそのままにして、自分と先祖のみにくい点、人にも言われなかった点をえぐり出すのです。それは一番多くが、愛欲のもつれです。次に財産相続、次は殺生、次は信仰のくさし等々です。それに病気で苦しんで死んだ念の残りのもとても多いものです。子供の時うけた心因、はずかしめ、劣等感、怒り、欲求不満も大事です。
 
これらの心因を調べるのは、祈念法の活用によって正念正定すれば誰でもピーンと通じるようになります。こうした奥の心のよどみを浮き上がらせたならば、その具体的消除法として、紙に分かる範囲の心因内容、例えば当事者の姓名、生年月日住所、何年頃いかなる事情だったか等を書き込みます(念の転写)。そしてそうした念は無明と愛によって或いは欲と怒りによってかたち作られたものであるが、その念を残せば共々の苦しみだから、仏教原理を習ってその念のあやまりを直し、み仏の世界を知ってその念は、み仏のように清浄になりますようにと祈り念じて、後にその紙を焼くか水に流すのです。これを二、三回繰り返せば心因を自分で取り除くことが出来ます。そしてこの清浄になった心に今度は素晴らしい正しい欲求の絵をかいて祈念してゆくのです。これは誰でも可能であり、最も能率的で根本的な幸福の獲得法です。 
 
精神分析とは自己の心因調べで終わりますが、世尊は過去、現在、未来の三世について、無明→意識→肉体→執着→苦しみという分析をされました。そして過去の知り方、その心因の除き方について明確に研究実地指導されて人々を真の幸福へと導入されたのです。フロイドは性格に重点をおきましたが、世尊は人類の生成が性欲食欲以前の無智無明にあることを分析しつくされたのです。その故に仏教は慧を強調し、慧を得れば愛欲は自然解消するとされてきたのです。しかし私共は慧に行き着けないのが実状であり、又その故に世尊は常に三毒不正感情をなくせと教えられました。不正感情(邪思)を後回しにして慧(正見)を求めるか、正見を後回しにして邪思を追い払うか、それはその人の個性とその時の修行の段階によるもので一概には言えないわけです。
       
「敵意ある人々の中にありても争わず、打ちかかる人に対しても心静まり、執着あるものの中にありても執着なき人をわれはまことの仏教徒という」
(法句経)

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