仏教による幸福への成功方式 #66(第八章ダンマ 六度 四果)

四果  

四禅法を実行するとどういう結果が得られるかについて簡単に勉強すると。

第一禅→(予流果)仏教という生き生きとして死ぬことのない大きな信仰の流れに自分も予(あずか)り入り、再び他の宗教に迷い込むということのない確信の喜びの状態です。ここまでも中々いかないもので、祈念法によって病気が治ったりすると一時はありがたいと喜ぶのですが、その喜びも日がたつとうすれてしまい、もっと大きな喜びがあるのにそれを求めるという心もわかなくなってしまいます。そして病苦を受けて根本的に心因を除くことの出来た経験も無駄になってしまいます。仏教的なフンイキと多少形式的な作法を守って外部からも精進させられるようにサンガの仲間同志が話し合い互いに協力することが大事です。
 
第二禅→(一来果)信仰がかなり進んでいるが未完成な為にこのシャバの苦しみと悩みのある心の状態に再び後がえりしないのだという確信が得られず、もう一度は苦の境地に又入るという状態です。それは正しい智慧による人生であればよいが、信仰の喜びを充分に味わいつつも快楽生活に未練がある為に少しぐらい人並にしてもよかろうと油断するところがあるので、やがて苦果となるということ。だから又振り出しにもどって苦諦、人生苦についてかみしめ直し学び直し、再出発することです。
 
第三禅→(不還果)信仰の完成一歩手前で再びこの世の苦悩をもつということはなくなり苦も楽も通りこして鏡のような心の状態です。その鏡に何が写ってもかき乱されることなく、智慧を心の奥深くしみこませ特別に努力努力と言わずとも自然に努力ができて、形の上では静かそのものといった在家として最高の理想的な境地です。み仏の智慧と思いを動かさぬ正定の心とが丁度つり合って片よらぬ具合です。一日の内三分間でもこの状態を経験し、毎日くりかえすうちに、その人の生活と人格はどんどん改善されて清浄そのものとなります。
 
想受滅定→(アラカン果)この四禅までをくりかえし経験でき、その時間も長くなり、智慧仏陀智慧を体得してあらゆる感覚を受けつけず、又その感覚に心が動かされることがなくなる状態です。それは全くのサマーディに入り苦楽もなく寂静涅槃の境地。アラカンとは一切の煩悩をなくした方のこと。これが個人の完成、最初の目的でした。この四つの果が(四果)自分の信仰がどこまで進んでいるか自分で試す自己テスト法なのです。とかく信仰は初め苦になり、やがて喜びとなりそこで止まります。世尊はそれを通りこして苦楽を感ぜぬ不動清浄の境地をつかめとはげまされます。


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