2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

釈尊の聖句 304

304 遠方にあるとも善人は、輝くことヒマラヤ山の如く、近隣にあるとも不善者は、見えざること夜陰に放たれし箭の如し。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二一 雑品 六四頁) 山のごとく 遠くにあるとも、善人は顕われること、ヒマラヤ山のごとし…

原始仏教講座 第三講 その七

第三講 その七正思というのは正しい感情です。正しい感情というのは、まあ話はそうだろうけれども、自分でそういうふうにはとてもなれそうもない、というのあれば正しい感情ではない。正しい信仰、やたらに疑わない、やたらに思い上がり、そんなの古臭いとい…

釈尊の聖句 303

303 信あり、戒を具し、誉と財とを得たる者は、如何なる処に趣くも、至る処に於て尊敬せらる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二一 雑品 六四頁) 善き信者 信心あり、規律を守り、名誉と財産を得たる者は、いかなる所におもむくも、その地にて…

原始仏教講座 第三講 その六

第三講 その六静けきニバーナへ導ける、ニバーナというのは解脱、覚りですが、その解脱というのはもう心の動揺が静まっているから静けき、ばたばたしないということです。静かな解脱ニバーナの状態へ導いてくれる、それが中道である。その中道すなわち八聖道…

経集 40

40.朋友の間にありては住するにも立つにも、歩くにも遊行するにも語話を交ふ。愚者の願はざる独在をば観察しつゝ、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 三 犀角経 十五頁) 止まるも立つも行くも旅するも、仲間と…

釈尊の聖句 292

292 為すべきことを等閑にし、為すべからずことを為し、傲慢にして放逸なる者には煩悩増長す。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二一 雑品 六二頁) たかぶり なすべきをなさず、なすべからざるをなし、たかぶりて、わがままなる人々には、煩悩は…

原始仏教講座 第三講 その五

第三講 その五 中道、その真中、中間という意味ではないのです。正しい道、正しいあり方、としての中道に現に正覚す、現在において正しく覚られた、お釈迦様が自ら言われた言葉です。現に私は正しく覚ったのである。それではそれはどういうことか。眼(まな…

釈尊の聖句 291

291 他人に苦を與へて自己の楽を望む。かゝる者は怨憎の繋縛に捉はれて、怨憎より脱することなし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二一 雑品 六二頁) 他に苦・己に楽 他人に苦を与えておのれの楽を望む者、かゝる人はうらみにしばられ、それよ…

経集 39

39.恰かも鹿が林野にて縛されずして、食を求めて欲する処に行くが如く、有識の人は独在の自由をば観察しつゝ、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 三 犀角経 十五頁) 野獣が林の中に捉はれなく、何処へでも食を…

山頭火に寄せて 野宿

『野宿』 山路でしぐれる山頭火の旅 まんじゅ笠一つのおかげで 心の底までぬれそぼることもない 野宿のあけで弁当もなく 托鉢に柿を頂いてありかたい 空腹では読経の声が出ぬという 遍路さんだからと宿々で断わられ 倉庫に寝て 犬にほえられ 夜通しまんじり…

静思湧言

生き方の要諦は、一切の互恵的思考にある。 創造力の源泉は情感であり、知識力の源泉も又意欲。 究極的には自己を現わす喜びが、生き方。 不戦能力が問われる時代。 時々、何もかも払い落とすのが賦活力。 イエス・ノーの二元思考と、日本的ためらい思考と、…

原始仏教講座 第三講 その四

第三項 その四如来は二辺に近づかず、というのがその先ですが、この二辺というのを、一方は死んだらしまいというので、欲楽、楽のみでいこうとする。これは一つの極端。それから難行苦行して何が何でも神様になろうとするというようなのも一つの極端。その二…

釈尊の聖句 290

290 若し小楽を棄つるによりて、大楽を見得るとせば、賢者は大楽を見つゝ、小楽を棄つべし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二一 雑品 六二頁) 小楽・大楽 もし小さき楽を永く捨てゝ、大いなる楽を見るとせば、大いなる楽を見ることを望む賢者…

原始仏教講座 第三講 その三

第三講 その三次に、いたずらに身を苦しむる行なすは賢き人のせぬところ、まことの利益ともなわず。いたずらに身を苦しむるというのは、お釈迦様の時代に、バラモン教、神さまの信仰する人たちが難行苦行をしていた。それは、死んでから天国に行く、天国に行…

釈尊の聖句 275

275 汝等この道を行かば、苦を終熄せしむべし。欲箭を除去することを悟りて、我実にこの道を説けり。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二〇 道品 六〇頁) 説かれた道 おんみらこの道を行けば、苦を終らしむべし。そはわが毒の矢をぬきたるを知り…

原始仏教講座 第三講 その二

第三講 その二中道です。これがお釈迦様の仏教の一番中心になるところです。中とは真ん中という意味ですが、これは必ずしも真ん中の意味ではなく、的中、あたっている、正しいという意味なんです。「もろもろの欲の楽のみ求むるは、いやしき凡夫のなすところ…

経集 38

38.子や妻に對して貪愛ある者は、恰かも欝茂せる竹が亙に縛著するが如し。筍の如くに著することなくして、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 三 犀角経 十四頁) 拡がる竹の根がからまるように、人は妻子に愛著…

釈尊の聖句 273

273 諸道の中、八支(八支聖道)最も勝れ、諸諦の中、四句(四聖諦)最も勝れ、諸法の中、離欲最も勝れ、二足(人間)の中、具眼者最も勝る。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 二〇 道品 五九頁) 釈尊仏教 道の中にては八聖道、真理の中にては四…

原始仏教講座 第三講 その一

第三講 その一次第説の説明をしましたが、これは仏教に入る前の話なんです。これが縁・信・教・行・証・導・謝・施と八つの項目で纏めた縁になるわけです。これが信じられない、いい種まきゃ、いい報いが来ると、三宝を信じそして施しをするという様な事が分…

釈尊の聖句 271,272

271,272 戒律・戒行のみによりても、或はまた多聞によりても、或は禅定の達成によりても、或は独臥によりても、我は凡夫の享け得ざる出家の楽に触るゝことなし。比丘よ、煩悩の減尽に達せざれば、決して意を安んずること勿れ。(南伝大蔵経 第23巻 …

実行の仏教

『実行の仏教』 覚りや救われが得られなくてもいい 少しでも自分中心が愛他優先に変わり 互恵真理の実行をする事が仏教だ 法の習得行をし 法の施しをする仏教者 仏教者を支持し 財の施しをする仏教信者 敬愛によって互恵真理を実行するのが仏教 美しい言説も…

経集 37

37.友人や親友を憐愍しつゝ、心繋縛せられたる者は利盆を失ふ。親?(したしみ)に斯る怖畏あることを観察しつゝ、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 三 犀角経 十四頁) 友達や仲間を哀れんだりすれば、心が縛ら…

釈尊の聖句 270

270 生類を害するの故を以て、聖者たるにあらず。一切の生類を害せざるの故を以て聖者と称せらる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五八頁) 不 殺 生けるものを殺すは聖者にあらず。すべての生けるものを害せざるものこそ、聖者と…

原始仏教講座 第二講 その二十三

第二講 その二十三五戒この規律は五つあります。殺生しない、盗みをしない、淫らなことをしない、嘘をつかない、酒を飲まない、というルールです。皆さんが飲んでいるのは酒を飲んでいるかどうかということです。酒というのは、酔っ払って何も分からないよう…

釈尊の聖句 268

268 愚昧にして無智ならば、唯寂黙の故を以て牟尼(寂黙者・賢人)たるを得ず。賢者若し権衡を執るが如くに善を取り、悪を斥くれば、彼は牟尼なり。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五八頁) ムニとは 愚かにして、無智ならば、たゞ…

原始仏教講座 第二講 その二十二

第二講 その二十二業報論では何が正しいかというと、業報論といわれたものです。それは行いに対して報いが来るということです。その業報論、それが行いに対して報いがくるということ、いい行いをすればいい報いがくるということです。悪いことをすれば悪い報…

山頭火に寄せて 己をみつめる

『己をみつめる』 修行の旅というでもなく 人々からの遠ざかりでもなく 托鉢して世間の暖かさを知って投宿 三日も四目も宿屋につけず 一杯のんでふっくらとご気嫌になって 潮さいに眠りをとられて野宿 己をみつめ 自然をみつめ わびしさと喜びをかみしめ た…

経集 36

36.交はりをなせし者に親愛あり、親愛に従ひてこの苦生ず。親愛所生の過患を観察しつゝ、犀角の如く応に独り遊行すべし。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 三 犀角経 十四頁) 人と触れ合えば愛著が生ずる、その愛著からこの苦しみが生じる、…

釈尊の聖句 267

267 この世に於て善と悪とを棄て、梵行を修し、慎重に世を行く者は、実に比丘と称せらる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五八頁) 善悪を見る この世にて善悪をしりぞけ、清き行を修め、正しく見て世間をわたるものこそ、ビクと呼…

釈尊の聖句 265

265 大小総ての悪を鎮めたる者は諸悪を鎮めたるの故を以て、沙門と称せらる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一九 法住品 五八頁) 出家性 大なり小なりすべての悪をしずむる人は、もろもろの悪をしずめたるがゆえに、出家と云わる。(田辺聖恵…