仏教による幸福への成功方式 #68(第八章ダンマ 六度 三宝互具)

三宝互具  

仏陀というからにはその中にダンマとサンガがこもっておらねばなりません。仏陀だけのつまり法とか人間に無関係の存在などありません。正法も誰でもが速やかに目的達成できる実行法と真理であると同時に、仏陀人間物などと無関係に存在するということはありません。正僧伽も仏陀という理想、仏陀の御加護、理想達成の為の原理正法がこもっていなかったら単に乞食の集団になってしまいます。
 
このブッダ、ダンマ、サンガの中にそれぞれ三宝を互いに具えている故に三宝互具といいますが、この三宝の揃わぬ仏陀というものはあり得ないしあっても私共の理想とするわけにはいきません。このように内容的分割、時間的差別をぬきにして、三宝互具の綜合を現実に打ち出された真実の御本尊は即ちシャカムニ世尊なのです。
 
しかしあなたが特に設定された宗派に入っておられるならば自分の礼拝する御本尊も、この三宝を互具しておられるのだという認識を新たにして礼拝して下さい。その認識からまことの仏教徒としての再出発ができるのです。
 
もし三宝がこもっていればいかなる名前の御本尊でも又いかなる宗派でもよいわけです。三宝の点で共通ならばそれは共通の仏教だからです。しかし三宝がうすれている宗派であればそれはカスミのかかったものであることを注意なさるのが能率的改善の第一歩。

如来の述べる所の経典は、皆衆生を度脱させんが為なり。或は此の身を説き、或は他身を説き、或は此の身を示し或は他身を示し、或は此の事を示し或は他事を示す。諸の言説するところは、皆真実にして虚にあらず」
法華経

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