仏教による幸福への成功方式 #63(第八章ダンマ 六度 精進とは力)

精進とは力

浄土作りという大理想に対しては正行と六度がその推進力なのです。精進努力をすすめなかった日本仏教は今日の去勢となりました。弱まり易い心を互いに励まし合うのが善き友です。精進の目当てはみ仏です。世尊です。人が見ている時は水もかぶり、信者がいない時は一寸一杯なんてのは見せ物でショウ。人に見られぬところで精進するのはむずかしい。子供の時から讃められるのを楽しみにやったくせが大人
になっても抜けないのです。夫婦の愛情ですら相手から認められ讃められることを期待します。早く大人になりましょう。「もし勤めて精進すれば即ち難き事なし」とお経には精進をすすめるはげましの言葉で一杯です。
 
アミダ仏にまかせるというのも精進の否定ではなく自己の不正欲求を転換して、正しい生活へと導かれた信念、み仏に支えられているという安心によって感謝の生活を精一杯やって行くということで、それは精進なのです。安心を頂いて怠けてよいというのではありません。この安心から浄土作りの大仕事を手伝わさせて頂く報酬の正行がもしなかったら自分だけのムード信仰(感情的信仰)となって仏教の発展の害虫となってしまいます。努力、実行なき仏教はあり得ないし、八正道の正行と六度の施行がなされなかったら仏教はきれいごとで終わりとっくに消えてなくなっていたでしょう。智慧を売り物にし、霊感でもって金をとり、み仏の救いのみで涙をしぼってはなりません。老いも若きも感謝と精進が裏表の仏教をやろうではありませんか。

「怠りてはげまず、百年生きるよりは、つとめはげみて、一日生きる方が勝る」

「怠けざるは不死の道、怠けるは死の道」

「ふるい立てよ、怠けるなかれ、正しき法を行えよ、法の如く行うものは、この世後の世も楽しく眠るべし」
(法句経)

不安と焦りが出てきたら一層、精進努力することです。み仏と三宝は常にあなたを守って下さるのです。精進がうすれると信仰もうすれます。そして御加護もうすれる。ありがたい忠告も金の援助もあなたの努力にはかないません。あなたを目的地に運ぶのは、あなたとあなたの善友の精進にかかっています。いや実はみ仏があなたの手足をかりて浄土作りをなさっているのです。あなたの手が時にみ仏の手となることを静かに考えてみましょう。み仏はあなたに絶大なる期待をかけておられるのです


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