仏教による幸福への成功方式 #76(第九章ダンマ 大慈悲 感応力の使い方)

感応力の使い方(慈悲五行)

もし他人の病苦(苦果)を消除して上げるお手伝いをする為には、その苦因と苦縁とをさぐらねばなりません。それにはその方と先入観を持たず互いに信頼し、み仏を中心として包み隠さず、中々人には知られたくないといった問題(これがまことの苦因である時が多い)を話し合いするようにすることです。自己と先祖に関するすべてをさらけ出してしまうと、何が苦因か分からずとも半分はよくなるものです。又苦因調べに馴れるとその話題の中で見つけ出すことは容易です。しかし適確に知りたい時、先祖のことなど中々分かりにくいものですから、又初対面では打ち明け話も出来にくいので、神通感応によって知らせて頂くのもよい方法です。そして苦因に心当りがあれば前世の悪業として懺悔し、供養によって苦因縁の消除もしくは成仏を祈念して苦果を除く決心とみ仏への信頼を起こさせて上げるべきでしょう。ではその具体的な実行法、慈悲五行を説明します。但しこれは経典そのままでなく趣意であります。
 
一、慈悲観相-先方の苦しみの心と姿を慈悲の心をもってよくみつめる。そこに同情が生まれ自分がみ仏の力を十分にうけることが出来るならば必ずこの人の苦滅をして上げたいという願心が生まれます。決して神通による自己の名利を考えてはなりません。神通が不正確であった場合素直に認め懺悔すべきで功を誇ってはならず又言い訳もすべきではありません。
 
二、慈悲神通-宗教的礼拝をなし、まず正語、正念する。「ナム釈迦ムニ世尊、願わくば誰々の苦果(苦の状態を略述)の苦因を覚らしめたまえ」と静かに口に出して三回。次にサマーディ(正定)に入り奥の心(仏心)よりピーンとくる知らせを待つ。初めに思いついたことがそのお知らせである。(勿論正念正定が十分でない時には自分の先入観が入るので真のお知らせでなくなる。それをさける為には苦の状態、病状などのみを聞き他の話を聞かずに神通した方がよい)。世尊のみ名でなく自分の守護神の名をあげてもよく、又神仏でなく内奥の心を頼りとしてもよい。
 
三、慈悲祈念-こうして苦因が分かったなら、み仏の御加護を得て必ずこの人の苦因と縁をほどいて苦果を清浄にして上げたいと決心し正語「ナム釈迦ムニ世尊、願わくば誰々の何々の因縁解いて清浄ならしめたまえ」と三回唱え強くそれを念ずる。(強く息を吸ってスッと少々吐き、次にグッと息を止めて、下腹に力を入れて、続く限り(二、三十秒位)強く念じ、スッと残りの息を吐き出す。これを三回くりかえし(必ず三回で一応止める)次にサマーディに入り、静かにこの人のよくなったさまを思い浮かべるようにして、或いは何も思わず五分~三十分間、そのままでいる。このサマーディによって正念は強化され深く感応されて実効を表す。この時に又啓示を受けることが多い)
 
四、慈悲教化-この祈念が終わって清らかにして静かな心のままで、苦因苦果を共に語り、懺悔し、み仏を讃嘆し、正法による正しい信仰と智慧、正行と施行が一切の苦因苦果を消除し、六根を清浄にして頂けることを指導し、共にみ仏の弟子として和合し合わねばなりません。
 
五、慈悲施行-こうして祈念により所願が成就し苦果の消除を頂いたならば、その喜びで終わらず、つまり単なる病気治しでなく、その苦受と苦滅の経験を無駄にせず、再び同じ苦を受けぬよう高い信仰の世界へ入り、仏陀と正法正僧伽の三宝を習い、正しい仏教原理によって、自分の心に三宝を成就し、その身によって、他の人にも三宝を成就させるべく、施しの行に入らせよう導くことが仏道であり施行なのです。
 
この慈悲五行は、現世利益を得る世俗的にも使えるし、苦滅正覚の為の八正道(正行原理)のつづめたものでもあるから、高度の宗教目的にも使えます。要は利他という大目的に使うので自己の力の誇示にならぬよう、そしてこの神通は形式ばらず、自然的に談合の中に直観的に啓示されて利他してゆくのが、最高の境地であります。この慈悲五行が日常対談の中にすらすらと流れ出す時こそ最も尊いあり方です。
(実例)三年ごしの頭痛の方に墓詣りしていないでしょうと指摘すると、納得し、懺悔され帰りにはすっかりよくなられた。

こうした慈悲五行は相互の施によってなさるべきで施を受けるのでなく報酬を受けると欲心が作られて共々に後に苦しまねばなりません。治病本位の行者さんの家族が却って苦しむ実例は多い。

「世尊、イダイケ夫人に告げ給うには、夫人よ、アミダ仏はここを去ること遠からず、おんみはあきらかに浄いわざから出来上がっているアミダ仏の極楽世界を思い浮かべるがよい。かの国に生まれたいと思うならば、三つの福業を修めよ。一つには父母に孝に、師につかえ慈悲深く、殺生盗み、みだらなこと、うそ二枚舌、むだ口貪り怒り、あやまれる考えの十不善をなさぬこと。二つには仏陀と正法と正僧伽に帰依しすべてのおきてを守り威儀を正しくすること。三つには道を求める心を起こし深い因果の理を信じ経典を読んで人に道をすすめること。この三つは清き国に生まれる清き行ないである。過去、現在、未来の仏陀達も皆この三つを正しい因として澄を得られた」
 (観無量寿経

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