2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

自伝的仏教論  『仕事と生き方』 「思いつきり」の打ちこみ

全現 第151号 1981年7月1日刊 -自伝的仏教論- 田辺聖恵 『仕事と生き方』 「思いつきり」の打ちこみ 加古川市の教育長浜田満先生は季刊誌『香芹』を出して居られる。その第三十一号は公務員への講演内容であるが、驚いたことに「先見性」を強調し…

おりじなる童話  だれのおねしょかな

吉永光治のおりじなる童話 だれのおねしょかな ひろい はらっぱに ぼくひとり ぽつん と たっていた。 そらを みあげても ほし ひとつない まっくら。 かぜは そよっとも ふいて こない 「おかあさん」 ぼく こわくて よんだけど へんじが ない。 だまって …

仏教の基本 

「浄福」第39号 1976年11月1日刊 三宝聖典 第一部第一項 三宝 「アーナンダ(阿難)よ、もしおんみに法を聞かんと願う者ありて、おんみみずから、慈しみをもってかれらを導かんとなすなれば、かれらをして三つの所へ向かわしめ、入らしめ住せしむべ…

三宝法典 第二部 第四一項 七人の妻

七人の妻 時に世尊、アナータピンディカ長者を訪れたもうに、家の中さわがしく、荒あらしき声、聞こえきたれり。世尊、座につきて長者にそのわけを問いたまえば、長者は答えて申し上げたり。 「長男の嫁、スジャーターはその生家の富と権勢を誇り、父母を敬…

意義と文句

三宝第155号 『意義と文句』 意義と文句をそなえたる法を説けと 生ける釈尊はその弟子衆に命ぜられる 人間ブッダの人間への導き方針がそれだ 仏教の最終目的はニバーナ覚りであるが 釈尊はその意味合いと価値利益を説く 言葉を超えた体験であるが言葉を尽…

活かし生かされ

『活かし生かされ』 自分が生かされの存在と思えば 自我意識が強すぎる事はない それによる苦悩は増大しない 自分を活かすべき存在と思えば 何かに向かって自分を活かす より積極的に活力を増大させる 生かされだから自分を活かす 自分を活かすから生かされ…

三宝法典 第二部 第四〇項 正導せられたるビク衆

正導せられたるビク衆 時に世尊、チャンパー城のガッガラー蓮池のほとりに、あまたのビク衆と共にとどまりたまえり。 象の御者ペッサと修行者カンダラカは、世尊のみもとに参り、カンダラカはビク衆を見廻して申し上げたり。 「尊者ゴータマよ、まことにこは…

学習・体験・生活化・正導

三宝 第155号 「学習・体験・生活化・正導」 いわゆる信仰と言うと、何かが神秘的な力が自分を守ってくれる事を信じる、といったふうに思われるのではなかろうか。仏教もその様なものだと思うと、今日の日本のような宗教無関心が生じてきた理由が分かるよ…

おりじなる童話 ボールが ネッ

吉永光治のおりじなる童話 ボールが ネッ おじいさんが へやで ほんを よんで いました。 「ガチャン」 ガラスが われて ボールが とびこんで きました。 「だれだ」 おじいさんが まどから かおを だして あたりを みまわしました。 「ガラスを わったこは …

欲望転換

『欲望転換』 欲望を捨てる事が難しい 充足の喜びを求める存在だから そこで欲望の質を変えればいい 自分本位のものを欲望として 自他互恵の欲求に転換すれば 充足の喜びは共のものになる その持てる物をその友愛の心 互いに恵み合い施し合うならば そこは直…

三宝法典 第二部 第三九項 矢の譬え

矢の譬え 時に世尊、サーバッティーの祇園精舎にとどまりたまえり。弟子のマールンキャプッタビクは静かなる所にて思えり。世界は永久なるや否や、世界は有限なるや否や、霊魂は肉体と同一なるや否や、如来は死後存在なすや否や。かかる問題を世尊はしりぞけ…

仏教徒の道徳生活 (下)規律ある生活

浄福 第47号 1977年7月1日刊 仏教徒の道徳生活 田辺聖恵 日本仏教の出家は、出世の望みがないからとか、逆に宗教界で有名になるためとか、首をはねられるところを出家して世の中にかかわらないことを条件として許されるといったことでなされたことが…

おりじなる童話 おならおに

吉永光治のおりじなる童話 おならおに 「ぶっ」 「また おならだして」 「ごめん」 たけしは おならを だすたび おかあんから にらみつけられる。 「ぼく どうして こんなに おなら でるのかな」 きのうだって となりの ともちゃんと いえで あそんでいたら …

三宝法典 第二部 第三八項 世の初め

世の初め 時にサーバッテイーの東園鹿子母講堂において、ワーセッタとバラドバージャはビクにならんがため、四ヵ月の別住をなせり。 ある日世尊、夕ぐれに静思より立ち出でて堂をおり、空き地を念じ歩みなしたまえり。ワーセッタこれを見たてまつり、バラド…

依存と互恵

『依存と互恵』 田辺聖恵 人は様々なものに依存する 時には互いに互恵し合いする そこに人の弱さや美しさがある 人間はもともと弱い存在であり 自然や社会に依存せざるを得ない そこから生かされ意識も出てくる 人間はもともと共存存在だから 互恵し合う事に…

仏教徒の道徳生活 (上)出家への誤解

浄福 第47号 1977年7月1日刊 仏教徒の道徳生活 田辺聖恵 出家への誤解 仏教に限らず、真の宗教は、人間のよりよき生き方を教えるものである。 仏教とは、仏陀(ブッター真理を正しく悟り、人々にその真理を正導なさる慈悲の行動生活をなさる方)の教…

おりじなる童話 いつもともだち

吉永光治のおりじなる童話 いつもともだち さると たぬきは いつも なかよしです。 きようは やまのぼり えっちらおっちら やまを のぼって いました。 「おやっ、おいしそうな バナナが おちて いるぞ」 たぬきが バナナを ひろいました。 バナナを たべよ…

原始仏教

[原始仏教]−人間の筋道を根拠にして自由と自立、ないし中身のある和合が出来る生き方は容易に見付かりません。人間の成り立ち筋道は分かりにくいものです。すべての人間学がさがしています。 人間には理性と感性がありますが、従来の生き方論は感性に訴え…

柔軟に生きる

『柔軟に生きる』 田辺聖恵 どうにもならぬ との思いと どうにかせねば との思いと 時折こんな思いに責められる 完全主義もしばしば苦しむ 安易主義もやがては苦しむ ソフトな使い分けも必要だ 人が生き方基準を持つならば もっとスッキリと生きられる もっ…

三宝法典 第二部 第三七項 アングリマーラ

アングリマーラ ブッダ世尊、サーバッティーの祇園精舎にとどまりたもう時、コーサラ国にアングリマーラと名づくる凶賊ありて、村々をあらし、人々を殺しては指を切りとり首飾りとなしたり。 時に世尊、早朝に衣をつけ、鉢を持ちて托鉢にゆかれ、食を終わり…

師弟の道 大事の伝承

浄福 第38号 1976年10月1日刊 「師弟の道」 田辺聖恵 大事の伝承 日常善を土台とせねば、真理聖への道は開けない。又真理聖を背景に持たねば、日常善は、自己中心にたちまち堕落する。今日の自由主義の教育が、何らの権威としての背景を持たずに行…

おりじなる童話 くつ

吉永光治のおりじなる童話 くつ 子ギツネと 子ダヌキが のはらで あそんでいると くつを みつけました。 「うあい。ぼくが さきに みつけた」 「ちがうよ。ぼくが さきに みつけた」 子ギツネと 子ダヌキは いそいで くつを つかみました。 「かたほうじゃ …

自他を大切に

『自他を大切に』 田辺聖恵 柔軟な感情を豊かにしてゆく 確実な知識を積み重ねてゆく それらの結集として行動する それらが自分を大切にする事だ それらが関わりを大切にする事だ それらが本当の幸せになる事だ 今日が明日につながっているのは 自分を高め深…

三宝法典 第二部 第三六項 ミガーラの母

ミガーラの母 アンガ国バッディヤと言える町のメンダカ長者の孫娘ビサーカーは、世尊が正導の旅をなしたまえるおりに、法を聞きて仏縁を結べり。 ゆえありて父のダナンジャナと共どもコーサラ国のサーケータに移り住み、サーバッティーのミガーラ長者の子プ…

師弟の道 啓蒙こそ真の仏道

浄福 第38号 1976年10月1日刊 「師弟の道」 田辺聖恵 啓蒙こそ真の仏道 仏教は勧善懲悪ではない。その善と悪をこえた究極の、真理体験を目的とする。そこで自己を完了はするが、それから他の人々の善、幸せのために生きるのである。つまり勧善懲悪…

おりじなる童話 はるのしっぽ

吉永光治のおりじなる童話 はるのしっぽ 「ぼく どうして しっぽ あるの」 「どうしてって だれにでも あるのよ」 「ふうーん だれにでも あるのか」 いぬの ワンくんは なんでも しりたがりやです。 ワンくんは きょうも おかあさんに ききました。 「ほら …

長期人生

『長期人生』 二兎を追うものは一兎を得る メインと次善を設定すればだ 幹線道路もバイパスも必要だ 仕事を主にするのは当然だが 趣味なりの自己開放も必要だ それで心身のバランスになる 何分にも長期人生なのだから 自分式にスタミナ配分をする ライフスタ…

三宝法典 第二部 第三五項 出家の動機

出家の動機 詩を唱え終わりしラッタパーラはただちに父母の家を去り、王の園におもむき木のもとに坐せり。時に国王、コーラブヤ王は、城を出でて林に遊び、家臣の知らせによりラッタパーラに近づき、挨拶をかわして互いに坐して問答せり。 「尊者ラッタパー…

師弟の道 受授の系譜

浄福 第38号 1976年10月1日刊 「師弟の道」 田辺聖恵 受授の系譜 釈尊仏教は、自主性の確立を第一とする。つまり、死という最大の難局に対して、それを恐れず、しかもあなどらず、見事に超越することである。浄土門で、他力によってしか救われない…

おりじなる童話 のはらのドア

吉永光治のおりじなる童話 のはらのドア きつねが やまを おりて いきました。 やまを おりて いくと のはらに でました。 きつねは どんどこ あるいて いくと もりの いりぐちに やってきました。 「あれっ なんだろう」 もりの いりぐちに おおきな ドアが…