仏教による幸福への成功方式 #54(第七章ダンマ 四聖諦 愛欲とは )

愛欲とは

実は修行の最大のさまたげなのです。無明は仏陀智慧原理を習ってゆけば割合に解決が早いのです。ところが愛欲は理屈ではどうにもならないものです。それは実は食欲の変化したものなのです。世界の出来上がりを思い出して下さい。初め肉体をもたぬ輝かしい心の衆生は、味覚にとらわれて遂に肉体をもつ、その肉体を養う為に食欲をつのらせました。するとその肉体に執着をもち寿命に限度があることが分かると、自分の分化した子を育てようとするようになりその為の生殖が始まったのです。人は自分に不足する分を求めて食するように自分の不足を補う相手を求めて止まないのです。自己保存の為の食欲、種族保存の為の性欲もやがてその目的が忘れられ、それ自体を求め溺れるということになり人類は低俗化してしまいました。この苦果を楽に変える為には早く愛欲を種族社会の浄土作りという理想に合うように転換し価値を高めねばなりません。若い時一度は愛欲化し子を育てるのは自然ですが、やがて愛欲に溺れることなく人生目的を達成してゆく生き方を習得せねば一ヶの動物で終わってしまいます。
 
世尊は若き出家僧侶に、若き女を見たら妹と思え、年長の女を見たら母と思えと教えられました。若くして愛欲と真剣に斗う精進を世尊は慈愛の眼で見られたことでしょう。妻帯したならそれもよいでしょう。そして早く愛欲を正善欲求に転換することです。芸術も科学への精進もこの愛欲が転換された時が多いのです。しかし宗教的に向上転換されることは更に尊いことです。愛欲に小説的理由をつけずさらりとなる要領を習うのが必要。

「愛欲の花を集めつつ欲にふける人を、その欲にあくことなきうちに、死王はつれ去るであろう」
(法句経)

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