2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

原始仏教講座 第二講 その六

第二講 その六お釈迦様時分は毎日托鉢に行かれる、托鉢に行かれることが信者指導なんです。お話をなさらなくても裸足で、自分で自ら歩いて行って家の前に立たれる。その修道者、宗教者としての宗教家としてのまじめな姿を見せる事自体が人々に尊敬の心を起さ…

松のほまれ 松尾多勢子 第十九

第十九 刀自の余生 明治二年三月、車駕東京に移らせ給ふ、刀自は、この成典を拝し奉りて後、直ちに児孫を引き具して、故郷に帰りたり。 刀自の始めて出府して、領主松平侯に謁せしより、こゝに二十年、日夜勤王の為めに.東奔西走して、一家を顧みるの暇なく…

おりじなる童話 いぬがそらにむかってほえるのは

吉永光治のおりじなる童話 いぬがそらにむかってほえるのは 「いぬを さんぽに つれて いってちょうだい」 ぼくが いえに かえったら おかあさんが ゆうごはんを つくりながら いった。 「あした いくよ」 「あした あしたって いつも いって いかないじゃな…

経集 21

21.世尊宣はく、筏(聖道)は既に組まれ善く作られたり、以て暴流を調伏し已に度りて彼岸に到れり、今や筏の要あることなし、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 八頁) 筏はしっかりと組まれ…

釈尊の聖句 152

152 寡聞の人愚者は牡牛の如くに老ゆ。彼の肉は増せども、彼の智は増すことなし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一一 老品 四〇頁) 少聞 聞くこと少きこの人は牛のごとく老ゆ。肉は太れど知恵は増すことなし。(田辺聖恵訳) ◎聞法のシンドサ…

松のほまれ 松尾多勢子 第十八

第十八 刀自児孫を従軍せしめたる後なほ京都に止まる 刀自、児孫等を、従軍せしめたる後は、なほ輦轂の下に止まり、しばらく身を同士三輪田元綱の家に寄せ、後また岩倉卿の家に入りて、客分となり、専ら国事の為めに奔走せり。 当時、三輪田真佐子女史もまた…

原始仏教講座 第二講 その五

第二講 その五自分の生活がそういう風に権力者、パトロンによって保証されると、非常に哲学的な高級な話ができますよね、相手が分かっても分からなくてもいいわけです。食い扶持は権力者が賄ってくれる。非常に哲学的な高級な話をしても、信者さんが分からな…

おりじなる童話 くるまにひかれたの だあれ

吉永光治のおりじなる童話 くるまにひかれたの だあれ 「うあー」 くみこが なきながら いえに かえって きました。 「どうしたの」 おかあさんが ききました。 「ひかれたの」 くみこは なみだを ちいさなてで ふきながら いいました。 「だれが ひかれたの…

釈尊の聖句 146

146 何の喜びぞ、何の歓びぞ、世は常に燃えつゝあるを。汝等は暗黒に蔽はる。何ぞ燈明を求めざる。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一一 老品 三九頁) 燃える つねに燃えつゝあるに、何の笑いぞ、何の喜びぞ。おんみらは闇におゝわれて何ゆえに…

経集 20

20.牧牛者陀尼耶曰く、虻も蚊も居ることなく、牛共は沼地に茂れる草を食み、雨降り来るとも堪へ忍ぶべし、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 八頁) あぶも蚊もいないと牛飼いダニアはいった…

童謡詩人金子みすゞの言葉についての視点への考察

大漁 朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ はまは祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう (わたしと小鳥とすずと より) 「おさかながおそうしきをしている。」ということ、ここには、「人間と同じように」という人間中…

原始仏教講座 第二講 その四

第二講 その四日本のお寺ではほとんどのお寺が托鉢はしていない。時々京都の禅宗のお寺が托鉢に出るというのがテレビでありますが、毎日ではない、ある期間だけです。他の宗派ではあまり托鉢はない。何故かというと、日本のお寺は権力者が建てている、大体は…

松のほまれ 松尾多勢子 第十七

第十七 刀自年来の宿志を遂ぐ 刀自は、徳川慶喜大政返上に先ちて女婿北原信綱を上京せしめ、沢為量卿に仕へて、窃かに時機を窺はしめぬ。 さる程に、王政復古の気運、ますます切迫せるを以て、しばらくも猶豫すべからざるの飛報続々在京の志士より、達せしか…

おりじなる童話 しんせつくんはわすれんぼ

吉永光治のおりじなる童話 しんせつくんはわすれんぼ あさ こうきが タクシーで がっこうに きた。 こうきが おりると ともだちが どっとよってきた。 「タクシーなんかに のってきて どうしたの」 「なにか あったの」 ともだちが こうきを まるくかこんだ…

経集 19

19.世尊宣はく、我は忿なく心の頑固を離れ己に、摩企河の岸に近く一夜の宿をなす、我執の家は剥がれ煩悩の火は消され居れり、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 七頁) 私は怒りを絶ち、荒ん…

釈尊の聖句 144

144 鞭を加へられし良馬の如く、汝等も努力奮励背よ。信仰と戒行と精進とにより、禅定と法の識別とにより、知と行とを具足して忘るヽことなく、この大なる苦を滅却せよ。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一〇 刀杖品 三九頁) 本物 むちをあてら…

原始仏教講座 第二講 その三

第二講 その三お釈迦様達は、自分が飯を食べないと生きていけないからご飯を貰いにくということではない。そういう托鉢でない。信者さんにご飯を差し上げるという、それは良い事でしょう、信者さんは。自分の家族の為にではないですから、その修行者にご飯を…

松のほまれ 松尾多勢子 第十六

第十六 刀自誠意以て水戸浪士に尽くす かくて、刀自は、浪士の為めに、能ふ限りの便宜を与え.無事に上京せしめんものをと、百方苦慮の折柄、たまたま、浪士等の駒場駅に宿泊せるを聞きて、おもへらく、彼等は、必定、道を名古屋街道に取らん、而してもし、…

おりじなる童話 ふしぎなサボテン

吉永光治のおりじなる童話 ふしぎなサボテン やまさんが よみせで サボテンを かいました。 「さあさあ ふしぎな サボテンだよ。しろい おおきな はなが さくよ。かった かった」 やまさんは ちょうしのよい こえに すいこまれるように てを だして かってし…

経集 18

18.牧牛者陀尼耶曰く、摩企河の岸に近く妻子と共に住す、家は葺かれ火は燈され居れり、故に若し天よ、汝望まば雨を降らせよ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 二 陀尼耶経 七頁) 私は飯も炊き、牛乳もしぼったと牛飼いダニアはいった、マヒ…

釈尊の聖句 126

126 或者は人胎に宿り、悪業を造れる者は地獄に墜ち、正しき者は天界に昇り、煩悩を滅尽せる者は涅槃に入る。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 九 悪品 三六頁) 地獄、天国と悟り あるものは人と生まれ、悪をなせるものは地獄におち、善行者は天国…

松のほまれ 松尾多勢子 第十五

第十五 刀自水戸浪士を設きて飯田藩との衝突を避けしむ 元治元年甲子十月、水戸浪士藤田小四耶.武田耕雲斎、山口兵部、田丸稽之衛門等、筑波山の囲みを出で、上京して事を闕下に訴へんとし、八百余の精鋭を率ひて、途を信州に取り、和田の駅に到りぬ。諏訪…

原始仏教講座 第二講 その二

第二講 その二しかし本来はお釈迦様の時代、お弟子さん皆托鉢に行かれた、お釈迦様も毎朝托鉢に行かれたわけです。人間ですから。人間ですからと言うのはご飯を食べるわけです、そしてそれは1日に一食です。そしてうまいもまずいも言われない。黙って食べら…

おりじなる童話 よっぱらった き

吉永光治のおりじなる童話 よっぱらった き ゆうがた ガラガラー げんかんの ドアが あいた。 「ただいま~」 おとうさんの よろよろ ごえが きこえてきた。 「おさけ のんで きたんだ」 ぼくが げんかんに でてみると おとうさんが だいのじに なって ねて…

釈尊の聖句 217

217 戒行と正見とを具へ、正法に住し、真実を知り、自ら自己の業務を行ふ者、世人はかゝる人を愛好す。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 十六 愛好品 50頁) 生活規範 規律と正しき考えをもち、法にしたがいて暮らし、真実を語り、おのれのなす…

経集 17

17.五蓋を捨断して苦なく疑惑を度(わた)り、煩悩の箭を離れたるかの比丘は、蛇が古りたる舊皮を棄つるが如く、彼此の岸をば共に捨つ。 (南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 一 蛇経 五頁) 五つの障害を切り捨てゝ、安らかに疑いを離れ苦を超え…

原始仏教講座 第二講 その一

原始仏教講座(全六講)第二講 その一『ブッダとは如来・応供(オウグ)・正等覚者(ショウトウガクシャ)・明行足(ミョウギョウソク)・善逝(ゼンゼイ)・世間解(セケンゲ)・無上士(ムジョウジ)・調御丈夫(ショウギョジョウブ)・天人師(テンニンシ)・ブッダ世尊にて、こよなき世間…

松のほまれ 松尾多勢子 第十四

第十四 幕府刀自の邸に涙士の出入するを疑ふ 刀自は、夜を日につぎて、郷に帰り、良人に見えて、久しく奉事をかきしことの罪を謝し寝食を忘れて、看護に心を尽しゝかば、夫の病勢も次第に快方に赴きけり。 折しも、志士の来り訪ふもの、日に多く、彼の角田忠…

おりじなる童話 とうさんのタイコ

吉永光治のおりじなる童話 とうさんのタイコ 「ランドセルを かたづけんか」 とうさんの こえが げんかんから へや いっぱいに ひびいた。 「はーい!」 ぼくは げんかんに はしっていった。 とうさんの こえは いまかえったぞ の あいずみたいなものだ。 か…

釈尊の聖句 204

204 無病は最上の利にして、満足は最上の財なり。信頼は最上の親族にして、涅槃は最上の安楽なり。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 十五 安楽品 48頁) 真の道 無病は第一の利、満足は第一の富、信頼は第一の親族、ニバーナは第一の安らぎなり…