幕末・維新

慎太郎と龍馬はともに狙われた

龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた 幕末京都の五十日 中島 信文 著 四六判 / 276ページ / 上製 定価: 1800 + 税 ISBN978-4-7791-1762-6 C0021 奥付の初版発行年月:2012年01月 / 書店発売日:2012年01月19日 内容紹介 闇に葬られていた日記が語る衝撃的…

中岡慎太郎と龍馬暗殺#12

「汗血千里駒と再び福岡孝弟」 明治維新に入ったとはいえ、龍馬はさほど有名ではなかった。有名になったのは、明治十六年に土陽(どよう)新聞が、坂崎紫瀾(さかざき しらん)作『汗血千里駒(かんけつせんりのこま)』を掲載してからだと言われている。つ…

中岡慎太郎と龍馬暗殺#11

「会津藩公用人:手代木直右衛門」 手代木直右衛門は、佐々木只三郎の実兄である。その手代木が、死の床で語った言葉がある。手代木家私家版『手代木直右衛門伝』によると。 「手代木翁死に先たつこと数日、人に語りて曰く『坂本を殺したるは実弟只三郎なり…

中岡慎太郎と龍馬暗殺#10

「土佐藩黒幕説について」 土佐藩説が書かれる場合は、後藤象二郎を黒幕として挙げて置いて、作者本人が「それはないであろう」と、結論づけて終るパターンが大勢を占めている。大政奉還案を独り占めにしたいから、という事がそもそもの発端の説である。当然…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #9

「土佐藩黒幕説起点」 福岡孝弟の「言ってはいけない事になっている」について、前記では少々遠慮気味に書いたが、実は、土佐藩の福岡が、別段、薩摩藩や他藩に遠慮などするとは思っていなく(徳川幕府は別として)、私は確信的に容堂だと思い浮かんだのだが…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #8

「土佐の名物お殿様:山内容堂」 明治維新後、完全に隠居した容堂は、連日両国などで豪遊し、界隈では名物お殿様として有名だったという。 幕末に於いて、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された土佐藩の元藩主は、先祖の一豊が徳川方についた為、その恩…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #7

「自説:中岡慎太郎と龍馬暗殺の黒幕」 これは、ある意味、人間の上下関係と藩体制にも関わってくる。幕末以前でもそうであったし、維新後もまたそうであった。 藩というものは、維新前に於いて、いや薩長同盟以前を見れば分かるように、藩同士は実に仲が悪…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #6

「西尾秋風氏の薩摩藩黒幕説」 新人物往来社の『龍馬暗殺の謎を解く』に於いて、「刺客? 中村半次郎」の章を書いた西尾秋風氏は、いわずと知れた薩摩藩黒幕説の人である。海援隊士・佐々木多門の書簡から、薩摩藩説を確信したという。私見だが、この書簡に…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #5

「見廻組肝煎・渡辺篤」 今井信郎と共に、暗殺に加わったと、死後、身内が新聞に発表し、龍馬暗殺事件に於いて有名になった人物である。私は今井の証言が腑に落ちないと共に、ある理由から今井の証言は当てにならないと思っていたので、この人物を取り扱った…

大河ドラマ「龍馬伝」に一言

話題にするのも馬鹿馬鹿しいので無視してきたが、酷すぎるので一言だけ、「このドラマはフィクションです。実在の人物とは無関係です」の表示を最後に流すべきではありませんか、NHK殿!

松のほまれ 松尾多勢子 第十九

第十九 刀自の余生 明治二年三月、車駕東京に移らせ給ふ、刀自は、この成典を拝し奉りて後、直ちに児孫を引き具して、故郷に帰りたり。 刀自の始めて出府して、領主松平侯に謁せしより、こゝに二十年、日夜勤王の為めに.東奔西走して、一家を顧みるの暇なく…

松のほまれ 松尾多勢子 第十八

第十八 刀自児孫を従軍せしめたる後なほ京都に止まる 刀自、児孫等を、従軍せしめたる後は、なほ輦轂の下に止まり、しばらく身を同士三輪田元綱の家に寄せ、後また岩倉卿の家に入りて、客分となり、専ら国事の為めに奔走せり。 当時、三輪田真佐子女史もまた…

松のほまれ 松尾多勢子 第十七

第十七 刀自年来の宿志を遂ぐ 刀自は、徳川慶喜大政返上に先ちて女婿北原信綱を上京せしめ、沢為量卿に仕へて、窃かに時機を窺はしめぬ。 さる程に、王政復古の気運、ますます切迫せるを以て、しばらくも猶豫すべからざるの飛報続々在京の志士より、達せしか…

松のほまれ 松尾多勢子 第十六

第十六 刀自誠意以て水戸浪士に尽くす かくて、刀自は、浪士の為めに、能ふ限りの便宜を与え.無事に上京せしめんものをと、百方苦慮の折柄、たまたま、浪士等の駒場駅に宿泊せるを聞きて、おもへらく、彼等は、必定、道を名古屋街道に取らん、而してもし、…

松のほまれ 松尾多勢子 第十五

第十五 刀自水戸浪士を設きて飯田藩との衝突を避けしむ 元治元年甲子十月、水戸浪士藤田小四耶.武田耕雲斎、山口兵部、田丸稽之衛門等、筑波山の囲みを出で、上京して事を闕下に訴へんとし、八百余の精鋭を率ひて、途を信州に取り、和田の駅に到りぬ。諏訪…

松のほまれ 松尾多勢子 第十四

第十四 幕府刀自の邸に涙士の出入するを疑ふ 刀自は、夜を日につぎて、郷に帰り、良人に見えて、久しく奉事をかきしことの罪を謝し寝食を忘れて、看護に心を尽しゝかば、夫の病勢も次第に快方に赴きけり。 折しも、志士の来り訪ふもの、日に多く、彼の角田忠…

松のほまれ 松尾多勢子 第十三

第十三 刀自良人の病報に接して帰国の途につく 幕府は、当時、長州邸内に、志士の多く潜伏するを探知し、種々の手段を設けて、同邸を窺ふこと、ますます急なりしかば、品川久阪等、刀自の身の上を気遣ひ、或夜窃かに、刀自を船に乗せて、長州に遁がれしめん…

松のほまれ 松尾多勢子 第十二

第十二 加茂行幸当時の日記 刀自は、諸藩の志士と共に、専ら力を 王事に尽したりしが、その危難の迫りし時、一切の書類を焼き棄てしかば、当時の事情を詳悉するに由なきは、実に遺憾の事といふべし。 而して、その日記としては、唯僅かに、加茂行幸の際にお…

松のほまれ 松尾多勢子 第十一

第十一 刀自辛うじて虎口を免る 時に一人の、あわたゞしく呼ぶものあり、驚きて顧みれば、これ長州の藩士渡辺新三郎にてありき。新三耶声を励まして曰く、余は時山直八、品川弥二郎両士の使者なり、御身は今死すべきの時にあらず、幸ひに捕吏未だ来らず、寸…

松のほまれ 松尾多勢子 第十

第十 刀自書類を焼き棄て自刄の意を決す 然るに、文久三年二月廿七日、つひに忠行正胤等を始め、その他同士のものは捕へられ、ついで、捕吏の刀自を索むること、いよいよ、急にして、京摂の間、殆んどその身を容るゝに処なかりしかば、昼潜み夜行きて、所々…

松のほまれ 松尾多勢子 第九

第九 刀自足利木像泉首の議に與る 文久三年二月廿一日角田忠行、洛西の等持院詣りて、足利三代の木像を観んとす。寺僧、賽を求めて、帳を開かんと、忠行嚇として怒り、罵りて曰く逆賊の像を観るに、何ぞ賽を用ひるの要あらんやと。去りて、長尾武雄、小室信…

松のほまれ 松尾多勢子 第八

第八 刀自着京の後諸公卿と交はり次第に禁中に近寄る 刀自は、着京の後、島田某なる人の宅を、仮りの宿りと定め、五條、中山、白川、大原等の諸公卿を始め、その他高貴の門に出入して、日夜機密に参与したり。 この時に当りて、平田の門人にして、上京するも…

松のほまれ 松尾多勢子 第七

第七 刀自情報に接して上京す 当時刀自は、その郷にありしが、志士より時勢の急なるを告げて、上京を促すこと頻繁なりしかば、これを夫淳齋に語り、かつ国事の忽にすべからざるを以てせり。淳齋またかねてより、勤王の念厚かりしも、平素多病の身、自から起…

松のほまれ 松尾多勢子 第六

第六 志士雲の如く京都に集まる かくて尊王の論、ますます盛んにして、志士の気焔とみに昂り、ついで各藩の交渉開かれ、志士の往復も、また頻繁となれり。 この時に当りて、庄内の志士、清川八耶、公卿中山忠愛と謀り、青蓮院宮の密旨と称して、広く西南諸藩…

松のかほり 松尾多勢子 第五

第五 刀自平田篤胤の門に入り諸藩の志士と交はる これより先、平田篤胤、いたく 皇室の式微を歎き、皇学を興して盛んに敬神愛国の説を唱へしより、大義名分やうやく明かに、勤王の士気いよいよ昂れり。刀自もまた、篤胤の没後、その門に入り、こゝに広く諸藩…

松のほまれ 松尾多勢子 第四

第四 刀自時勢を慷慨す 刀自郷に在りて、常に慷慨して語るやう、今や昇平久しく打ち続き、世を押しなべて奢侈虚飾に流れ、士気の堕落はその極に達し、国運日に月に衰へたり。ことに近時幕府の行動を見るに、陽には 皇室を尊ぶが如く装へども、陰にはその式…

松のほまれ 松尾多勢子 第三

第三 刀自始めて江戸に出で領主松平侯に謁す 嘉永四年、刀自はその夫淳齋に従ひて、はじめて江戸に出で、領主松平義建侯に謁見するを得たり。侯は、かねて、刀自の歌道に嗜み深きよし、聞き及びければ、側近く召して、斯の道のことゞも、語らひける折抦、た…

松のほまれ 松尾多勢子 第二

第二 刀自の生家と婚家と 刀自は、みすゞかる信濃国下伊郡の山本邑に、文化八年五月を以て生る。竹村常盈の長女なり。人となり温厚篤実にして、気節高く、幼き頃より、古典和歌などを学び、とりわけ歴史を読むをこの上なき楽みとせり。されど片田舎の事とて…

松のほまれ 松尾多勢子

松のほまれ 松尾多勢子 第一 刀自とその時代 嘉永六年六月四隻の米鑑来りて浦賀湾頭に錨を投じたり。この警報の一たび江戸に達するや、幕府の驚き一方ならず急使を京都に馳せて、叡聞に達せしめ、一方にはまた、在府の諸大名を城中に集めて、その意見を問ひ…

中岡慎太郎と龍馬暗殺 #4

「薩摩藩黒幕説」 多くの研究者が取り上げ、主流ともなっている説である。 それは、蜷川新(にながわ あらた)博士による『維新正観』にて「・・・この日坂本龍馬暗殺の報を聞き、土州人中島信行は現場に駆け付け、旅館の女中に向かい、その折の様子を尋ねて…