松のほまれ 松尾多勢子 第十

 第十 刀自書類を焼き棄て自刄の意を決す

然るに、文久三年二月廿七日、つひに忠行正胤等を始め、その他同士のものは捕へられ、ついで、捕吏の刀自を索むること、いよいよ、急にして、京摂の間、殆んどその身を容るゝに処なかりしかば、昼潜み夜行きて、所々に隠れ居たりき。

一日人あり、来り告げて曰く、同志の士、はや既に、概ね縛に就けり捕吏の御身に迫らんこと将に旦夕にあるべし、しかず疾く、この地を去りて、遁がれたまはんにはと。刀自深く、その厚意を謝し、かつ思ふやう、事こゝに至る、最早遁るべきの術なし、速かに屋内を払ひて、後日の憂へを防ぐに若かずと。乃ちかねて、各藩と往復せし信書を始め、その他国事に関係せる書類を、ことごとく焼き棄て、徐ろに髪を理めて、もし捕吏の来るあらば、自刄して就縛の恥を免かるべしと、自から覚悟を定めぬ。


(松のかほり 清水謹一著 公論社刊より)