2010-04-15から1日間の記事一覧

原始仏教講座 第一講 その六

第一講 その六仏教の教え、それを体験する修道、修行の方法、それからそれを体得した状態という、教・行・証、これが仏教そのものであるとします。それが分かる、あるいは分かる途中である、そしてそれでどうなるかというと、それを導かなければならない。仏…

松のかほり 松尾多勢子 第五

第五 刀自平田篤胤の門に入り諸藩の志士と交はる これより先、平田篤胤、いたく 皇室の式微を歎き、皇学を興して盛んに敬神愛国の説を唱へしより、大義名分やうやく明かに、勤王の士気いよいよ昂れり。刀自もまた、篤胤の没後、その門に入り、こゝに広く諸藩…

経集 6

6.その内心に怒りあることなく、且つ禍福善悪を超越せるかの比丘は、蛇が古りたる舊皮を棄つるが如く、彼此の岸をば共に捨つ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇品 一 蛇経 二頁) 心中に怒りを持たず、物事の成ると成らぬとを超えてゆく、その修行…

釈尊の聖句 191

191 苦と、苦の因と、苦の減と、苦の減尽に至る八支の聖道、即ち之なり。こは安全なる依所なり。最上の依所なり。かかる依所に趣きて、一切の苦より脱す。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 十四 仏陀品 46頁) 真実の道 苦と苦の原因と、苦の征…