中岡慎太郎と龍馬暗殺#11

会津藩公用人:手代木直右衛門」
手代木直右衛門は、佐々木只三郎の実兄である。その手代木が、死の床で語った言葉がある。手代木家私家版『手代木直右衛門伝』によると。
「手代木翁死に先たつこと数日、人に語りて曰く『坂本を殺したるは実弟只三郎なり、当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率い、蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したり』と。蓋(けだ)し某諸侯とは所司代桑名侯を指したるなり、桑名候は会津候の実弟なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り(はばかり)、終生此事を口にせざりしならん」(仕切ったのは確かに佐々木であるし、私は現場にも居たと考えている。故に、佐々木が殺した、としてもいいであろう)
ここで、紛らわしいのは「蓋し某諸侯とは所司代桑名侯を指したるなり」という文言で、これは、手代木家私家版『手代木直右衛門伝』を、書いた著者の言葉であり、手代木が言った言葉ではない。果たして、某諸侯とは本当に桑名候を指すのだろうか? 大体、手代木が会津藩に仕えていたのも、見廻組が守護職会津藩管轄(所司代管轄や幕府大目付直属など諸説あるが)であるのも、周知の筈である。明治維新後なら尚更だし、特に家族へ語っているのであれば、隠そうとしても白々しいものであろう。それなのに、わざわざ「某諸侯」などと言うだろうか。
ただし、これを以って、土佐の容堂候を指すとは言わないでおく。匂うという程度にしておこう。所司代の桑名候松平定敬(さだたか)は、会津松平容保実弟であったから、実兄の松平容保に害が及ぶのを恐れたという事なのだが、そうであるとしても、他にはっきりと言えない諸事情があったのかもしれない。
手代木は、維新後、新政府から罪を許され、要職に就いている。その際、桑名候ではなく、会津候であった松平容保に祝いの書状を受け取っている。かなり、近しい関係であったようである。

それよりも、私が重要と感じたのは、「又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり」という部分である。
維新後の談話であるとしても、当時の状況を語ったもので、龍馬に対して、「土佐の藩論を覆して倒幕に一致せしめたる」という意識が、幕府側、或いは幕府配下の者達に、歴然とあったという事である。そして「土佐の藩論を覆して討幕に」「土佐の藩論を覆し」「土佐の藩論」、・・・何が言いたいかはお分かりであろう。
幕府の人間が、大政奉還は土佐の藩論であるという旨を、そこまで気にする事自体に、少々違和感を覚える。土佐の藩論を守らない坂本が悪い、といった感覚で物を言っている。土佐藩内の事情まで、気にする事はあるまいに。
つまり、「容堂候が掲げた藩論を覆して倒幕を行う坂本龍馬」に、というこだわりを覚える。実際は、龍馬ではなく、中岡慎太郎なのだが、まさか一脱藩浪人が、大政奉還の発起人だったとは、その時、知らなくても仕方はあるまい。龍馬も中岡と同じく、倒幕の輩と誤解されても、幕府末端からすれば、これも分かる話である。
ここでもやはり中岡の方が危険視される立場であった事が分かる。
言い換えれば「土佐の容堂候が掲げた藩論を覆し、倒幕を行う坂本龍馬は、深く容堂候の嫌忌を買ひたり」と、私には読めてしまう。これは私の勝手な解釈であるし、繰り返し証拠は無いと言っておくが。

さて、ここで、『手代木直右衛門伝』を、書いた著者が言う、「之が累を及ぼすを憚り(はばかり)、終生此事を口にせざりしならん」として、例えば、松平容保や、実弟の桑名候松平定敬(さだたか)などが、何時頃まで存命だったのかが、気になる。とはいえ、亡くなったから話しても良いという訳でもあるまいが、没年を見てみる。

松平容保      明治26年1893年12月5日)没
手代木直右衛門  明治37年(1865)没
松平定敬      明治41年(1908年)7月21日没

なるほど、手代木が死の床にあった時、松平定敬は存命中である。が、実際に仕えていた松平容保は既に亡くなっている。とすると、『手代木直右衛門伝』を、書いた著者の言い訳は、少々食い違ってくる。
「桑名候は会津候の実弟なりしを以て・・・」という所は、松平定敬はもとより、手代木が仕えていた松平容保へ迷惑が掛かるからという事である。にもかかわらず既に松平容保は亡くなっている。
某諸侯が桑名候松平定敬を指すという指摘はやはり、『手代木直右衛門伝』を書いた著者の憶測でしかなかったのか、それとも存命の松平定敬に害が及ぶという事のみで「某諸侯」としたのか。
いずれにしても、松平家自体に迷惑が掛かるのを恐れたともいえるのだが・・・。


次回は、他の主要関係者の没年による時系列と、再び福岡孝弟の「言ってはいけない事」についてを絡めて、龍馬がいつ頃から有名になったのか? を交えて、お話したいと思う。

(つづく)

詩集アフリカ と その言葉達