松のほまれ 松尾多勢子 第六

第六 志士雲の如く京都に集まる

かくて尊王の論、ますます盛んにして、志士の気焔とみに昂り、ついで各藩の交渉開かれ、志士の往復も、また頻繁となれり。

この時に当りて、庄内の志士、清川八耶、公卿中山忠愛と謀り、青蓮院宮の密旨と称して、広く西南諸藩の間を遊説せしが、その企図、着々肯綮にあたりて、これに與するもの頗る多く、肥後にありては宮部鼎蔵、松村大成、筑後にありては、真木保臣、大鳥居井敬太、筑前にありては、平野国臣、豊後にありては、小河一敏等の諸士を始め、その他勤王憂国の士、相呼応して奮起するに至れり。ことに文久元年の秋に到りては、これ等諸士の京都に上るもの引きもきらず、時の京都はさながら志士の淵叢となり風雲いとゞ暗澹たるの形勢を示すに至れり。
 
                   た  せ  子
幾たびもむすびて飲まむ影きよく
     うつるさくらのはなのしたみづ

(松のかほり 清水謹一著 公論社刊より)