中岡慎太郎と龍馬暗殺 #6

「西尾秋風氏の薩摩藩黒幕説」
新人物往来社の『龍馬暗殺の謎を解く』に於いて、「刺客? 中村半次郎」の章を書いた西尾秋風氏は、いわずと知れた薩摩藩黒幕説の人である。海援隊士・佐々木多門の書簡から、薩摩藩説を確信したという。私見だが、この書簡に於いて、薩摩が関わっていたという裏付けは取れないと思われる。今現在の情報を用いて読んでみると、確かに薩摩藩が怪しいと思うが、時系列からいって、当時の海援隊士らが犯人としていたのは新撰組である。書簡には、龍馬の殺害人の姓名が分かり、これに付いての薩摩の処置等が愉快であるという内容なのだが、その姓名とは先に書いた原田左之助という事になるのではないか。それについての薩摩の処置が愉快というのは、当時、薩摩藩伊東甲子太郎高台寺党を匿っていたからとも言われている。これは、話が逸れるので、他のネットで諸説語られているものを参考にしてもらいたい。

後に語る事となるが、西尾氏は先に薩摩藩説を唱えた為、御自身が提示する新史料を生かす事が出来なかったように思う。この方も、恐らく黒幕を別に考えていたように感じる。それは、西尾氏が『幕末維新暗殺秘史(新人物往来社)』の新史料提示に於いて、御自身が迷われているように読み取れたからだ。それはともかく、後に語らせてもらう。

主題は、この章の中で、福岡孝弟(藤次)の子孫が、TV番組にて龍馬暗殺を語ったという内容である。私が、中岡と龍馬暗殺の黒幕を、最初に閃いたきっかけが、この内容なのである。

要約させてもらうと、「曽祖父は福岡孝弟と申しまして、(龍馬の)死の真相を、ある筋から知っていたんだそうですが、誰が聞いても、いや、あれは言っちゃいかん事になっとるんだ、と言いました。佐々木只三郎・・・・・・そうじゃないんだ、と」

つまり、福岡孝弟は事件後、どのくらいのタイミングか、定かではないが、真相を知っていたのである。
予め言っておこうと思うが、まず、「佐々木只三郎・・・・・・そうじゃないんだ」という話は、見廻組説の否定であるが、暗殺に関わる証言や史料を、アテにはならないとしても、有力なのはやはり見廻組である。これは、後になり考えたのだが、佐々木は直接関わってないが、実行した者達は、見廻組の関係者という事なのではないかと考えた。ややっこしいが、これにも理由はあり、それも後に語る事として、私が最も引っかかったのは、「言っちゃいかん事になっとるんだ」という言葉である。

言っちゃいかん事になっている・・・・・・、言ってはいけない事になっている・・・・・・、福岡孝弟は、一体誰に対して気を使い、言ってはならない事としているのだろうか?


詩集アフリカ と その言葉達より
http://tjhira.web.infoseek.co.jp/nakaoka.htm