松のほまれ 松尾多勢子 第十九

第十九 刀自の余生

明治二年三月、車駕東京に移らせ給ふ、刀自は、この成典を拝し奉りて後、直ちに児孫を引き具して、故郷に帰りたり。

刀自の始めて出府して、領主松平侯に謁せしより、こゝに二十年、日夜勤王の為めに.東奔西走して、一家を顧みるの暇なく、為めに家産の大半を傾けたりといへども、しかも今日この聖代に遭ふ、刀自が心中の喜悦果して如何ぞや。

刀自、郷に帰りて後は、専ら家政の整理を事とし、家人を督励して、只管、家業に怠りなかりしが、幾ばくならずして、家運回復しければ、刀自は、その円満たぐひなき好家庭にありて、風月を友とし、優遊自適、いとも幸福なる老後を送るを得たりき。

刀自三男四女あり、誠家を承けて、二男四女を挙げ、孫千振、曾孫珍臣、相嗣ぎぬ。明治二十七年四月、八十四歳の高齢を保ちて、ついに身まかりぬ。
                          た  せ  子
  治まれる御代のしるしや野も山も
     ゆたかにつもる今日のしらゆき


(松のかほり 清水謹一著 公論社刊より)