松のほまれ 松尾多勢子 第八

第八 刀自着京の後諸公卿と交はり次第に禁中に近寄る

刀自は、着京の後、島田某なる人の宅を、仮りの宿りと定め、五條、中山、白川、大原等の諸公卿を始め、その他高貴の門に出入して、日夜機密に参与したり。

この時に当りて、平田の門人にして、上京するもの頗る多く、仙石隆明、石川貞幹は、三輪田元綱と共に、文久二年十月廿四日、江戸を発して、上京の途につき、続いて師岡正胤、宮和田胤影のその後を追ふあり。十一月廿七日に至りては、平田鐵胤門人梅村真守と、共に上京の途につき翌二年正月には、延胤もまた上京せり。 

当時、京都が志士の淵叢たりしは、いふを須たず、而して今また、平田の門に縁故ある諸士の、陸続入京し来るに当りては、平田派の気焔は実に萬丈の光彩を放ちたりといふべし。
而して刀自は、これ等諸士と共に、丹精相推して。國事に奔走し、時に或は白川卿に言上して、故篤胤が物せし古史成文を、叡覧に供し奉り、また或は宇郷局と、親善の好あるを利用して、禁中に出入し、もって下情を密奏するなど、疏通の為めに、便宜を與へたること、頗る多大なりき。
 
 正月初めて大内へまうのぼりける時 
宇卿の局はつゑの方より摸様付の打
かけをかし給へるをきて
 
小女子か天の羽衣かりにきて           た  せ  子
       雲井にのぼるけふのうれしさ

(松のかほり 清水謹一著 公論社刊より)