2010-04-17から1日間の記事一覧

原始仏教講座 第一講 その八

第一講 その八仏教とは導くことである。という風に私なりに分かった。それで導くことを始めたわけです。十年間ほど導くことをやると、自分の力で導いているのではないという実感が段々してくるんです。導くことはやってもあまりお賽銭あがらないんです。お寺…

松のほまれ 松尾多勢子 第六

第六 志士雲の如く京都に集まる かくて尊王の論、ますます盛んにして、志士の気焔とみに昂り、ついで各藩の交渉開かれ、志士の往復も、また頻繁となれり。 この時に当りて、庄内の志士、清川八耶、公卿中山忠愛と謀り、青蓮院宮の密旨と称して、広く西南諸藩…

釈尊の聖句 202

202 貪欲に等しき火なく、憎悪に等しき罪なく、五蘊(肉体的存在)に比すべき苦なく、寂静に勝る安楽なし。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 一五 安楽品 48頁) 四つの己 むさぼりに等しき火はなく、怒りに等しき邪悪はなく、肉体の如き苦しみ…

経集 8

8.走り精進し過ぎず遅れ懈怠するなく、この愛・見・慢の三障礙をすべて超えたるかの比丘は、蛇が古りたる舊皮を棄つるが如く、彼此の岸をば共に捨つ。 (南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 一 蛇経 三頁) 行き過ぎずまた送れず、かの妄念(そのも…