松のほまれ 松尾多勢子 第十二

   第十二 加茂行幸当時の日記

刀自は、諸藩の志士と共に、専ら力を 王事に尽したりしが、その危難の迫りし時、一切の書類を焼き棄てしかば、当時の事情を詳悉するに由なきは、実に遺憾の事といふべし。

而して、その日記としては、唯僅かに、加茂行幸の際における一断片の存するあるのみ。

十日 美喜三郎さんの来たまひて何くれの物かたり其日は久阪時山たつねたまふ半兵衛御手引に預りし御方は志道聞多ふる郷人にあひいろいろの物語し侍りて夜のいの刻に別れ時山の屋敷へ行
十一日 雨ふりぬけふは行幸し給ふと聞澄川ぬしをとくおこし茶なんとわかしつゝ朝飯とゝのへて澄川ぬしは出ぬ其日は品川来る
三月十一日加茂へ行幸
 いその上ふりにしかもの神山に
    みゆきふりけるけふのたぬしさ
十二日 天気よくふや町よりたより聞
十三日 大坂に子共行
十四日 半兵衛ぬしいせ久時山に見へみつからもゆく
十五日 平田大人御出立かげなから御残りおしみそこそこにうたとりそへて奉る
十六日十七日 長門守揉兵ごへ御出立同しくかげなから御いとま奉る同日品川ぬしよりいろいろのやうす聞
十八日 薩摩様帰国中津川いち岡ひてのり時山のやしきに来る
十九日 又ひでのり一人来る同日宮宇卿がくしゆ院に書付を出す
廿日 将軍参代にて上儀御うけ奉る
廿一日 越前帰国又々将軍帰国をねがふ
廿二日 吉田品川両人来る阿波路の国へ中しま栄吉をとりに五十人遣すいといとにくきことになん長州大主よりみつから同心の人共に金十両小遣として被下候
廿三日 加茂へ行幸したまふといふを
きゝてうれしさのあまり 
 た  せ  子
君と臣のみちをたゞすの神垣に
       いでましの世となるぞうれしき

(松のかほり 清水謹一著 公論社刊より)