2010-04-24から1日間の記事一覧

原始仏教講座 第一講 その十五

第一講 その十五明行足、明というのは智慧の明かり、行というのは実行です。修道、修行も入りますが、日常生活において宗教活動をするという事も行です。それが足というのは足りるということです。この明行足、智慧の明かり、智慧と行いが足りている方、満足…

松のほまれ 松尾多勢子 第十三

第十三 刀自良人の病報に接して帰国の途につく 幕府は、当時、長州邸内に、志士の多く潜伏するを探知し、種々の手段を設けて、同邸を窺ふこと、ますます急なりしかば、品川久阪等、刀自の身の上を気遣ひ、或夜窃かに、刀自を船に乗せて、長州に遁がれしめん…

おりじなる童話 はな

吉永光治のおりじなる童話 はな あきこが おかあさんの へやで きょうだいの かがみを のぞきこんでいました。 「どうかしたの」 おかあさんが へやに はいってくると ききました。 「どうも しないわ」 あきこは へやを ぷいっと でていきました。 どうもし…

釈尊の聖句 120

120 善人と雖も、善の未だ熟せざる間は、苦悪を見る。然れども善の熟するや、その時善人は福善を見る。(南伝大蔵経 第23巻 小部経典一 法句経 九 悪品 三五頁) 善が熟する時 善人もその善が熟さざるうちはわざわいをみる。されどその善が熟する時、か…

経集 15

15.此岸に来るべき縁となる所の不安所生の煩悩あることなきかの比丘は、蛇が古りたる舊皮を棄つるが如く、彼此の岸をば共に捨つ。(南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二 一 蛇 品 一 蛇経 五頁) それによって世間の生活へ引き戻されることになる、あれこれ…