松のかほり 松尾多勢子 第五

   第五 刀自平田篤胤の門に入り諸藩の志士と交はる

これより先、平田篤胤、いたく 皇室の式微を歎き、皇学を興して盛んに敬神愛国の説を唱へしより、大義名分やうやく明かに、勤王の士気いよいよ昂れり。刀自もまた、篤胤の没後、その門に入り、こゝに広く諸藩の志士と交はるを得て、詳しく時勢の真相を明かにするの便りを得たり。

当時、外には、列強の頻りに我が辺境を窺ふあり、内には、鎖国攘夷の論、ますます喧しきあり、人心紛々擾々として.帰一する処なく、幕府諸藩に令して、その鎮圧を謀るといへども、更にこれを制止するの力なく、ただ一時を弥縫するに過ぎざるのみ、されば国家の前途は、その危きこと.実に累卵も啻ならざる有様なりき。 

刀自は、この状を見て、窃かに時機の至れるを察し、腕を扼して曰く.妾が身、一婦女なりといへども、一身を捧げて、国家の犠牲となり、かの暴慢悪むべき幕府を倒して、皇恩の万分の一に報い奉らずして止むべけんやと。

当時、水戸を始め、その他、諸藩の志士にして、刀自と志を同じうするもの、来り訪ひしかば、刀自はかれ等に対して、或は金銭を与へ.或は衣服を恵み、一意専心その志を助けたりき。

また、幕府の嫌疑を避けしめんが為め、志士をして、或は一戸を構へて医業を開かしめ、或は菓餅をひさがしめ、もってかれ等の擁護にその全力を尽くしたりき。
                        た  せ  子
  武士の赤き心ろをかたりつゝ
     あくるやおしきはるの夜の夢

(松のかほり 清水謹一著 公論社刊より)