桃水和尚

(10)生きるとは対立しない事である 吉永光治

正義や慈悲を説くことは何もむつかしいことではない。それを黙って実行することが中々むつかしいのである。透水和尚は、乞食の境遇をあこがれたのではない。病気のため止むを得ず落伍した彼等に、又、身寄りのない孤独な病人に、身をよせて救い介抱したのは…

(9)生活そのままの道こそ生きる極意 吉永光治

平常心是道、毎日の生活がそのまま道そのものの現れなのである。人々は、生活以外に仏法の極意があると思い誤っているものである。「和尚さま、どうぞ御慈悲を以って仏法の極意を教えてください」と、透水和尚に金持の長者がおとずれた。透水和尚は大きな口…

(8)嘘を吐くと地獄に落ちるぞ 吉永光治

透水は嘘を吐くと地獄に落ちるということを確く信じていた。それは何も死後の事を言ったのではなく、嘘を吐いたという一事で、地獄に落ちたのも同様なのである。真実の至極とは地獄に落ちて、おちたことを少しも知らぬのが真の地獄なのである。 嘘を吐けば良…

(7)何が今大切か 吉永光治

透水和尚は、鉄眼禅師の提唱に耳を傾けていた。ところが書院の前方の菜園にふと目が移ったのであった。その日は非常にむしあつい日であった。透水和尚は何を思ったのか席を外したのであった。早速法衣を脱ぎ、破れ汚れた衣物を身につけ、素足で肥桶を荷いな…

(6)真実を秘してはならない  吉永光治

透水和尚にとって法門の世界は広大である。決して一宗一門にのみこだわるようなきゅうくつさは透水和尚にはなかった。つまり法に執着することはないのである。どこでも己が師として教えを仰ぐに足るものと信じた時には、広く推参して謙虚に教を乞うにちゅう…

(5)山は山、川は川  吉永光治

山を見て川と言う人はいないし、川を見てこれを山という人もいない。こうした単純なことが、中々至難なのである。人は山はこれ山と徹見するに一生涯を費やしているのである。なるほど肉眼では山は是山と映じる。しかし、心の中で果たして山を山と正しく見て…

(4)死者をして死者を葬らしめよ  吉永光治

職業的宗教家を相手にしたり、又はこうした人々に心を寄せることは心の汚れであり、又、心をよごす、はしたなさを表すものである。よろしく無関心であれよとの意味である。透水和尚のように純粋さを愛し、日々これを捨命に生きんとする真剣な心の持主が、か…

(3)悟るとは我から我を除くこと  吉永光治

桃水は、悟りについてよく知っていた。また悟って悟りに囚われたり執着することのおろかなことも桃水はよく知りぬいていたのである。病気をして薬を飲んだ、すると薬のおかげで病気が全治した。全治したら薬はもはや必要ではない。治ったのに薬を飲み続けれ…

(2)生きるとは心を通して物を見ること 吉永光治

桃水和尚は橋の上から流れゆく水を眺め、また水の流れる音に耳を傾け己を忘れ愉しんでいた。そこへ一人の村人が通りかかって桃水和尚に声をかけた。「何を眺めていられるのですか」「水だ」その答えに村人はとまどった。そこでこんどは持っている葵の花に眼…

(1)「桃水和尚の真実」              吉永光治

(1)「桃水和尚の真実」 吉永光治 複雑きわまりない社会、変動目まぐるしい時代に生きて、たくさんの重荷を背負い、さまざまなしがらみによってがんじがらめになっている今の世の人々にとって、桃水和尚の生き方に学ぶことは実に多いものである。 この文明…

勤労の聖僧 桃水 #45 完(十、臨終 そのニ)

聖僧は、臨終の地を京都に選んでいる!その行為は自発的のものであろうか?或いは、余儀なき事情のあった故のものであろうか?そのことに対しては、私の想像するところに依れば、禅林寺脱走以後の聖僧は、もはや、自然と労働とに親しむ以外には、この人生に…

勤労の聖僧 桃水 #44(十、臨終 その一)

十、臨終 聖僧は、もはや、肉体的に勤労生活には堪え難い苦痛を覚える老齢に達するに至って、そこに大きな諦めをもって、庵を結んで、再び行乞生活を初めるに至っているが、その生活の思想的根底は、『最少の布施によって生きたい』という思想であった。その…

勤労の聖僧 桃水 #43(九、労働時代 その四)

2、勤労生活と引受人の問題 前述の如く、当時は勤労力過剰の時代であったが、また、当時は、治安の不完全なる社会状態であった。例を挙ぐれば、聖僧に対するその伝記の中に見ゆる、大阪の法巌寺一件の如きがそれであろう。法巌寺は無住の寺であった。それは…

勤労の聖僧 桃水 #42(九、労働時代 その三)

如上の、聖僧の思想生活を根底的に支配していた三大問題の中の二大問題と聖僧の特徴性格との関係に就いては、私は、先に説述して置いたから、茲では省略したい。惟うに、聖僧と勤労生活との因縁に就いてみるならば、人はそれが昨今のものではなかったことを…

勤労の聖僧 桃水 #41(九、労働時代 そのニ)

さて、雲歩禅師は、江戸からの帰りに、摂津の有馬へ廻って、かれこれ一月ばかりを有馬温泉に逗留していた。 或る日のことであった。 雲歩禅師は、旅の徒然を慰めようと思ったものだから、宿の近くを歩いていた。 すると、向こうから、醤油徳利と葱の十把ばか…

勤労の聖僧 桃水 #40(九、労働時代 その一)

九、労働時代 さて、聖僧の乞食生活に就いては、それは30ヶ年続けられたと伝えられてnいたり、或いは、10ヶ年続けられたと伝えられたりする程で、確たる伝えといってはない。また、乞食と労働とが併行的に続けられたと伝えておられる者もあるが、これは…

勤労の聖僧 桃水 #39(8、聖僧に於ける一人の女性 その二)

私は、附言したい。 面山禅師の『桃水和尚賛伝』の中には、聖僧は伊勢の内宮外宮近辺の乞食の群にも混じっていたと伝えられている。想うに、そんな噂が、風の便りに、島原へ伝わった。知法は、それを聞いて、伊勢へは、伊勢参宮旁々聖僧を探し求めて行ったの…

勤労の聖僧 桃水 #38(8、聖僧に於ける一人の女性 その一)

八、聖僧に於ける一人の女性 聖僧は、肥前、島原、禅林寺に於て、三人の弟子を得度した。その弟子の一人に知法というのがあった。尼弟子である。 知法は、島原の富商の母であったと伝えられている。 知法は、聖僧の脱走事件を聞いてからというものは、何とか…

勤労の聖僧 桃水 #37(7、桃水禅師と良寛禅師 その五)

私は、如上の理由に就いてすこし述べたい。 人は屡々『法悦境』なる言葉を使う。いったい、その『法悦境』なる境地は、如何なる境地であろうかというに、必ずしも、それは、宗教上の行為の上に於いてのみ見らるゝ境地ではないが、宗教的なる境地である。 宗…

勤労の聖僧 桃水 #36(7、桃水禅師と良寛禅師 その四)

?密洲と智伝とが如何に聖僧を慕っていたかということは、後日、?密洲は、桃源寺という寺を建て、智伝は、正宗庵という寺を建てゝいるをもって知る。桃源寺の桃は桃水の桃であり、正宗庵の正宗は、禅林寺に於て、聖僧の講じた正宗賛から取ったものである。 聖…

勤労の聖僧 桃水 #35(7、桃水禅師と良寛禅師 その三)

斯くて、その夜も明けて、翌朝になったものだから、二人は、その仮の宿から出た。それから、坂本の町では袖乞いをした。それから、堅田の方へ向って、疲れた足を搬んでいる時のことであった。二人は、偶然にも路ばたに弊れて死んでいる年老いた乞食のあるの…

勤労の聖僧 桃水 #34(7、桃水禅師と良寛禅師 その二)

如上の比喩に於けると等しく、聖僧の生活革命に於ける思想生活的根拠―自分の仏道上の最後の試練の場所は寺院以外のところにしかないとの確信―の中にはいまだ理論的、有機的、全体的に組織立った理想生活といえる程の形態をもってわれわれの眼に映るほどのも…

勤労の聖僧 桃水 #33(7、桃水禅師と良寛禅師 その一)

七 桃水禅師と良寛禅師 桃水禅師と良寛禅師とを比較してみる場合に於て、たとえ、桃水禅師の方を劣る人として観るも、(私は桃水禅師の方を優れた人であると思っているが)、その優劣は五十歩百歩であろう。 若し、然りとするならば、やはり、桃水禅師もまた…

勤労の聖僧 桃水 #32(6、禅林寺時代 その七)

聖僧、禅林寺脱走後の足取りに就いては分明ではないが、間もなく、聖僧の姿は山城、宇治の黄檗山に現れた。 いうまでもなく、山城、宇治の黄檗山は、聖僧と一度会見したことのある隠元禅師の開基した寺である。 聖僧の黄檗寄寓期間は、凡7、8年であろう。…

勤労の聖僧 桃水 #31(6、禅林寺時代 その六)

しかし、如何に生来愚なる聖僧であったとしても、その大麦をついて麦飯に拵える迄には凡何時間掛かるということの分からない程の愚ではない筈である。若し、聖僧はそれが分からない程の愚であったならば、それは『愚に似たり』ではなく、愚そのものである。 …

勤労の聖僧 桃水 #30(6、禅林寺時代 その五)

元来、人間の種々なる欲求は、それを三つの範疇に属せしむることが出来る。 (1) 科学的欲求。 科学的欲求とは、真実ならびに真理を求むる欲求であり、それの特徴は、学究的である。 (2) 道徳的欲求 道徳的欲求とは、良或いは善を求むる欲求であり、そ…

勤労の聖僧 桃水 #29(6、禅林寺時代 その四)

私は、田中氏の思想する世界を観て、斯く想像する。 田中氏の、『愚直』或いは『魯鈍』に対する把握の仕方は、それに就いての現象型態的なるものを把握するに止まり、本質的なるものを把握しないのではなかろうか?―これを砕けていえば、『捉え方が上滑り』…

勤労の聖僧 桃水 #28(6、禅林寺時代 その三)

一方、結冬安居に於ける衆僧の起床時刻は何刻であったろうかと考えてみよう。それは非常に早いに違いない、のみならず、この寺の小僧たちの起床時刻は更に早いものに違いない。また聖僧の性格からその日常生活を想像してみるに、聖僧の起床は、非常に早いも…

勤労の聖僧 桃水 #27(6、禅林寺時代 その二)

私の想像するところに依れば、この禅林寺住職時代の聖僧には、もはや、市井一介の平凡なる勤労者の生活の中に、自己の安住の地を見出そうとする心が相当に強く動いていたものゝようである。私は、次の如き逸話を参考にして、斯く想像するのである。 聖僧の法…

勤労の聖僧 桃水 #26(6、禅林寺時代 その一)

六 禅林寺時代 聖僧の禅林寺転住に就いて、田中茂氏は、次の如く想像ならびに感想を述べておられる。 『前述したように、桃水が禅林寺の住職となったのは、謎の扉に閉ざされているが、それに対して、憶測を加えてみるのも無意味なことではなかろう。想うに、…