勤労の聖僧 桃水 #28(6、禅林寺時代 その三)

一方、結冬安居に於ける衆僧の起床時刻は何刻であったろうかと考えてみよう。それは非常に早いに違いない、のみならず、この寺の小僧たちの起床時刻は更に早いものに違いない。また聖僧の性格からその日常生活を想像してみるに、聖僧の起床は、非常に早いものに違いない。恐らくは、聖僧の起床時刻は、ほかの者の起床時刻よりは一段と早いものであろう。性格的に観るばかりでなく、年令的に観ても、聖僧は早起きをしたがる年令である。人は、特殊の人でない限りは、50頃からは早起きをしたがるものである。茲に、不思議がある。衆僧は方丈室へ行ったが、それ迄に、なぜ、方丈門の貼紙を見た者がなかったのであろうか?
 
一方、聖僧は朝寝をする慣わしを持っていたと仮定してみる。そして、結冬安居の期間中は、衆僧のほかは誰も方丈門の傍へは近寄らなかったと仮定してみる。然からば、聖僧の脱出に就いては、殆ど時を遷さずしてその事は高力に知らされ、高力の臣下の早馬が、諸々の川々、浦々を目指して飛んだであろう。してみれば、聖僧を捕らえることは容易であったに違いない。聖僧は、もはや老齢である。一目散に駆け逃げるとも、疾走する馬の早さには及ばなかったであろう。
 
斯く想像するならば、前陳、両者のその何れを想像する場合に於いても、高力の、聖僧を捕らえ得なかった理由、説明に就いて、そこに合理性を抽出することが出来ない。
 
茲に至って、私は想像する。
 
想うに、聖僧の、禅林寺脱走は、解制の前後に於いて行われたものであろう。恐らくは、聖僧は、その夜、深更、賢巌、愚白、雲歩、慧中、逆流の一同を自分の一室に招いて、自分の禅林寺赴任の動機に就いて、決して、それは、寺格の高い寺への転住を希んだのではなかったこと、自分の地位の高まるのを希んだのではなかったこと、それは偏に、虐政のために塗炭の苦しみに泣き、しかも、何れへといって愬うべきところもなければ、その手段も知らぬ領民たちを救う一方、鬼畜に憑かれている御領主に諫言し、領主をも救わんと欲する慈悲心からであったこと、自分はその初志を貫かんがために、堪忍よく五カ年の間もこの寺に辛抱していた。しかし、今は、もはや、この寺は自分の身を置くべき寺とは想われぬ。如上の自分の慈悲心は少しも領主に理解さるゝところなく、自分の諫言は一つとして領主から用いられなかったのである。領主は、単に、有名な僧を自領に迎えたいという虚栄心から自分―桃水を迎えたに過ぎないのである。若し、これ以上にこの寺に止まっているならば、桃水は奇僧と聞きしに、こは何事、あれ見よ、桃水は名利の僧伽に過ぎないではないかといわれるにきまっている。自分は僧侶として、名利欲を何よりも嫌厭する。如上の故に、自分は、領主へそれとなく最後の諫言をするためにこの寺を去ろうと決心すると共に、この暴虐の領主に対して、己の地位が大事か仏道が大事かを知らしめよう。そのために、領主に対して、最も痛烈なる復讐をしようと思い立った。結冬安居の法会はそのために行われたものであった。それによって、一面に於いては、僧侶としての自分の力量を示し、一面に於いては、領主を欺くためであった。決して自分は大和尚になりたいなどとは思ってはいない。出家の堕落は、斯かる名利欲から来るのである。自分は堕落したくない。故に、自分は今夜衆僧の就寝を待ってこの寺から脱出する積もりである。この事は翌朝衆僧の知るに至る迄は口外してはならない。若し、口外する者あらば、桃水の法弟とは覚えぬぞや、―と、法弟たちにいい含めて置いたものに違いない。或いは、代表的の法弟一、二に対して、敍上の如き態度を採ったのかとも私は想像する。
 
惟うに、この脱出の意味は、暴虐なる領主への諫言であり、復讐であったであろう。何となれば、斯かる意味を持たざる脱走ならば、聖僧は何時にても禅林寺を脱走することは出来たであろう。
 
田中茂氏のこの事件に対する御想像は私のそれと異なっている。田中氏の、その御想像は次の如きものである。
 
『何故に、彼は世の多くのそれのように、法幡を立てて大和尚の位に登ったのであろうか。乞食の群に混入しようとする彼としては、解釈の出来ない、奇怪なる矛盾と云えよう。しかし、彼が斯かる儀式の過程を辿ったのは、監視の眼を逃れんための手段に過ぎない。それほどに彼は厳重に監視されていたのである。それにしても、誰でもがすぐにそれと頷ける程、この用意周到になされた、計画的な彼の出走は、桃水の全生涯を通じて唯一つの大芝居であるが、斯かることには魯鈍な彼が、斯くも巧妙にやり終うせたのは、何人でも驚くと云うよりも寧ろ不審の小首を傾けるであろう。恐らくこの如何にも劇的な場面の背後には、今は忘却の彼方に消え失せている何人かが潜んでいて、人知れず巧みに彼を援助したのではなかろうか』
 
私は、田中氏の思想する世界を観て、想像する。―
 
田中氏は、『愚直』或いは『魯鈍』を、求道上、或いは、僧侶上、非常に価値あるかの如くに思っておられるのではなかろうか?そして、その価値あるものを聖僧に見出したと思っておられるのではなかろうか?