勤労の聖僧 桃水 #44(十、臨終 その一)

十、臨終

 聖僧は、もはや、肉体的に勤労生活には堪え難い苦痛を覚える老齢に達するに至って、そこに大きな諦めをもって、庵を結んで、再び行乞生活を初めるに至っているが、その生活の思想的根底は、『最少の布施によって生きたい』という思想であった。そのことは、次の逸話によって想像することが出来るであろう。

 もはや、聖僧は、肉体的に勤労生活には堪えられなくなったゝめに、再び、本意ならずも、行乞生活を始め出した。

 聖僧が池田に住んでいた時のことであった。一度、京都で聖僧を見付け出した愚白禅師は、またも、池田にいる聖僧の噂を聞いたものだから、まだ相当に厳しい正月末の寒さを冒して、弟子の智順と共に、池田の町へと訪ねて来た。

 町の者から聞いたところによると、聖僧の住居は、町の裏の破れ家であった。

 愚白禅師とその弟子の智順とがその家へ着いた時には、聖僧は不在と見えて、戸が閉ざされていた。

 近所の人に訊いてみたところによると、托鉢に出掛けて、昼頃に帰って来るものらしかった。

 間もなく、未時(今の午後二時頃)となった時に、聖僧は帰って来た。

 聖僧は、木綿の袷を身に纏うているにはいたが、その上に纏うた衣は薄くなっていたばかりではなく、破れていた。

 聖僧の頭はと見れば、剃髪だとはいい難い程、頭髪が延びていた。

 聖僧は、誰だろうといったふうに、愚白禅師の姿を見た。が、すぐに思い出したので、

 「そこにいるのは、愚白ではないか。どうも愚白らしい。お互いに老衰しているからのう。よくはわからぬが、愚白ならば、無用の見舞いじゃ。」

 愚白禅師に向かって、そういって置いてから、聖僧は、火を自分でおこした。それから、湯が沸いたものだから、それで冷飯を温めてたべ出した。

 そこに愚白禅師とその弟子とが棒のように突っ立っているのを見て、それが邪魔だといったふうな態度であった。

 愚白禅師は、兎に角と思ったものだから、見舞いのしるしとして持って来た、五百文の鳥目と紙衣とを、弟子の智順から受け取って、そこに差し出して、「本当にしるしばかりでございますが、お布施と致しまして持参致しました。」

 その時、聖僧は、愚白禅師に対して、きっぱりとした態度でこういった。

「儂は、今は施物を受けても嬉しとは思わぬからのう。お布施があればのう、あればあって、それを人にまた布施してやらねばならぬ。その心遣いが修業の妨げになるからのう。お持ち帰り下さるように。」

「左様ではございましょうが、折角愚白の布施でございますから、此際は先ず先ずお納め下されますように、枉げてお納め下さいますように……」

 こういって、愚白禅師は、そこに無理矢理に置くようにしてから、暇を告げて帰るのであったが、その時、聖僧は布施を受けることをかなり迷惑そうにしていたとのことであった。

 この逸話に対して、田中茂氏は、―

「より善く生きんとする彼には如何なる時も人から布施されることは、同時に人に布施することを意味していた。止むなく行乞生活に返った今も、彼自身は狂いなき良心を天秤とする、布施の最小限の消費をもって足れりとしていた。しかし、会て乞食の群に身を投じたことのある彼は、何人にも増して与えられる者の正体を知っていた。即ち彼は乞食と呼ばれる不幸なる人々もまた、同情すべきところがあるとしても、大部分が布施に依る安逸を平然としている風俗の僧侶輩と選ぶところのないことを知っていた。彼は、布施を布施するには、自分に与えられた布施なるものゝ性質を考慮して、相手の吟味を必要とすることを知っていた。それにまた彼は、彼自身の額に汗して布施することの気安さを知っていた。更に、どこかに存在する与える相手を探すには、老いたる彼は身体の自由さをもたなかった。この故に、彼は狂いなき自己の良心を天秤とする、必要以上の布施を辞退し拒否したのであるが、止むなく行乞生活に返った彼は、前にも述べたように、受くるという彼自身の生活そのものに対して、人知れぬ疑惧と悩みを抱いていた」

 といっておられる。田中氏のこの御感想は先ず妥当だと私は思う。たゞ、この御感想にいくらか不備に見ゆる点を指摘するならば、聖僧の観察眼の中に、乞食なるものゝ正体が正確に映るに至った時期を、乞食になってから以後の如く想像しておられる点ならびに聖僧の思想生活の中に、布施を受くる生活に対する疑惧と悩みとの生ずるに至った時期を聖僧の晩年なるかの如く想像しておられる点であろう。

 しかし、聖僧に対するその伝記者の総ては、聖僧の生涯を伝うるに当たって、所謂宗教家としてより善く生きんとした人であるかの如く伝えている。それに反して、たゞ一人田中氏は、人としてより善く生きんとした人として伝えておられる。田中氏のそのお仕事には、多くの欠点が見ゆるが、しかし、偉業の一つだと私は思う。

 池田に居った聖僧は、如何なる動機に依ったものか、または、如何なる心境のあって然らしめたものか、臨終の地を京都に選んでいる。



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