勤労の聖僧 桃水 #38(8、聖僧に於ける一人の女性 その一)

八、聖僧に於ける一人の女性

聖僧は、肥前、島原、禅林寺に於て、三人の弟子を得度した。その弟子の一人に知法というのがあった。尼弟子である。
 
知法は、島原の富商の母であったと伝えられている。
 
知法は、聖僧の脱走事件を聞いてからというものは、何とかして、たゞ一度だけでもいゝから師の面影に接したいと思っていたものだから、遂に、聖僧と京都で邂逅した夢を見たりした。それから、知法の、聖僧を慕う心は一層強くなって来た。
 
知法は、聖僧に捧げる積もりで、優しい女心から聖僧の寝衣褥衣を新しく縫ったりした。それから、伊勢神宮という口実の下に、若干の金子を用意して家を出た。それから、お伊勢さまにお詣りをした時は、聖僧との邂逅についてお祈りをして、帰途を京都に立ち寄った。
 
京都では、すこし縁故のある家に宿泊した。そして、知法は、その家の主人に向かって、実は訪ねる人があって来たのだが、その人の居所は誰にも知られていないのみならず、その人の容貌を知っている人にしても、この京都にはいない、その人は今自分の連れて来ている召使いたちにも知られている人ではないから、やはり自分が探しに行かなければならないといった。
 
知法は、来る日も来る日もといったふうに、一僕一女を連れて、別に目当てもないのに、諸々方々と探し歩いた。
 
それから二十日ばかりも経った。
 
或る日のことであったが、知法は、五条の橋の下、川原に大勢の乞食の集まっていることに眼をとめた。
 
知法は、若しやと思って、眼をとめていた。別に聖僧らしい姿は見えはしなかったが、知法は、しかし、川原へ降りて行った。そしてそこにいた乞食たちに対して若干の鳥目を与えてから、聖僧のことについて、その容貌、身丈、癖などを話すのであった。それから、人の噂では、もう五六年も前からのことであるが、そのような人がお前たちの中に交じっているとのことであったから、諸々方々と訪ねてみたが、どうしたものか見当たらない。しかし、自分はどうしてもその人と対面しなければならぬ所用があって、態々、肥前の島原から訪ねて来た者であるから、若しお前たちの中に、そのような人を知っている者がいるなら、たとえ、その人の居所は京都ではなくてもよいのだから、知らして呉れ、といった。
 
乞食たちは、不思議な話だとは思ったが、知らぬものだから、皆しらぬと答えた。
 
すると、その時のことであった。
 
傍らに、藁席を敷いて、その上に打つ伏せになっていた、癩病やみの乞食が、むくりとばかり起き上がって、その人ならば、自分をこの頃看病して呉れる人ではないかしら、この辺には見掛けぬ人だから、いろいろと素性について訊いてみたが、一言も答えない。それだから、それは、その人のことだかどうだかはわからないが、しかし、若し、その人のことならば、きっと昼過ぎには来るであろう。今日は薬を買って来てやるといった、昨夜から見えないが、定めし昼過ぎには来るであろう。だから、何処かそこらで時間を潰して、それから昼過ぎになってまた来てみたらよいであろう。どうも、その話によれば、その人のようだ、といった。
 
知法は、その乞食の話によって、それと察することが出来たゝめに、大変嬉しがって、その辺を歩き回った。それから、時刻を見計らった知法は、橋の上まで来て、河原を見下ろしたところが、果たして、そこには、聖僧がいた。夢にさえ見ていた聖僧の姿が見えた。
 
とはいうものゝ、聖僧の昔の面影は、顔のどこかに残っているばかりで、それはすっかり変わり果てた姿であった。聖僧は、背中にこそ藁席を掛けていたが、膝から下へは掛けるものといってはなかったらしい。白髪はふさふさと頭に生え、顔には白い鬚髯が長く延びていた。
 
聖僧は、杖と紙に包んだものとを持って、急ぎ足に、あの、癩病の乞食に近付いて行った。知法は、それを見た。
 
見るからに親切そうに看病をしている聖僧を見て、知法は、思わず知らず、感涙を眼に浮かべた。
 
それから、川原へ降りてから、聖僧の側へ近寄った、知法は、またも、思わず知らず、悲喜交々の感涙を眼に浮かべて、―

「和尚さま、あの禅林寺の知法でございます。」

といった。知法は、息をつかず続けた。

「あのわたくし伊勢さまへ御参詣の帰りでございます。諸々、御在所につきまして尋ねあぐみましたが、不思議にもお目に掛かれまして、寔にこれが生涯の本望でございます。」
 
知法は、斯くの思いで、それだけのことはいったものゝ、胸が迫ったゝめに、そのあとはもう何ともいうことが出来ないようで、たゞ、さめざめと泣き続けるばかりであった。
 
聖僧は、さめざめと泣く知法をじいっと見守っていたが、やがて、斯ういった。
「恋慕は、女人の罪のうちで第一番に重い罪じゃ。それも世間の孫や子に対してならばともかくもじゃ、すっかり世に愛情のない儂に対面したところで、なんにもならぬ。若し、三宝因果を信じ、剃髪本志を失わずあろうならば、それがこの始終対面していることじゃ、……早く帰るがよい。」

寔に、それはあっけないと共にそっけない挨拶であった。

「たゞ一つお願いがございます、和尚さま、どうぞ聞き届けの程お願い申上げます。」

「なんの願い?」

「若し、和尚様が東山のほとりに庵をお結びなされて、それにお住まいなされるなら和尚様御生涯の斎米ならばわたくしの才覚にて整えますでございます。京の縁故の家から続けさせますでございます。」

『御無用、々々々。』

「あの、そうではございましょうが、夜具類はこのたび新調の上、宿所まで持参致しております。そのほかにもまた、庵をしつらえるに入用の金はいくらか持って来ております。」

「入らぬ。無用じゃ。」

知法は、独りでこういい続ける。

「わたくしは、和尚様がたとえ小庵になりとお住まいになるのを見届けした上で、故郷へ帰りとうございます。」

「それは儂の心を知らぬ、愚か至極の考えじゃ。愚かな言葉じゃ。庵に住もうとさえ思えば、何時でも儂は住めるではないか。何も、そなたのお布施を受けなくとも、明日にも住めるぞ。折角の願いじゃが、叶わぬ、叶わぬ!」

聖僧は、こういってから、左右へ白髪頭を振り立てた。

「左様でござりますか、それでは、和尚様。和尚様へと思いまして持参致しました夜具、金子などは、わたくしは今更、故郷元へ持って帰ることは出来ませぬ故、如何ようなりとも。和尚様はお取り計らい下さいませ。……和尚様、それでは、もう一度、お目に掛からせて頂きたく存じます。呉々も、お体を大切に遊ばしませ。」
 
知法は、それから、橋の上へ上って、伴の者に向かって、宿所へ帰って、金子と夜具とを持って来るようにと呿咐けてから、橋の上で待っていた。
 
その金子と夜具とが、間もなく届けられたから、知法は、それを伴の者に持たせてやがて聖僧の側まで来た。やがて、聖僧へそれを恭しく差し出しながら、

「これは、和尚様へ差し上げたもの故、和尚様の御存分になされて構いません。川へお流しされても、お捨てなされてもよろしゅうございます。」
 
と、こういうのであった。
 
聖僧は、その知法を優しくも、また、いたわり深くも見守って、―
「川へ流そうとも路ばたへ捨てようとも構わぬというその心が、布施としては何よりの心じゃ。然れば、御芳志忝なく頂くと致そう。」

といって、それを受け取ったが、時を移さず、聖僧は、その新調の夜具を、知法の見ている前で、なんの惜気もなく、癩病の乞食の体へ打ち掛けてやった。また。金子の方は、それを小割に両替してから、乞食一同へ分けてやった。
 
聖僧は、それから、知法に対しては、―

「本当に知法は、善い布施をした者じゃ。東山の方にも病気に苦しんでいる者があるからのう、儂はちょっとこれからその方へも立ち廻ってこなければならぬ。」
 
といった儘、立ち去った聖僧は、その後は、永遠に、その橋の下―知法尼に逢ったところへは姿を現さなかったそうである。