(4)死者をして死者を葬らしめよ  吉永光治

 職業的宗教家を相手にしたり、又はこうした人々に心を寄せることは心の汚れであり、又、心をよごす、はしたなさを表すものである。よろしく無関心であれよとの意味である。透水和尚のように純粋さを愛し、日々これを捨命に生きんとする真剣な心の持主が、かかるふん虫同様の群れに居を占めることは、自己への侮辱である。彼らがかかる職業的宗教家に嫌悪の情を抱くのは当然であったのであろうと思われるのである。
葬式坊主、富裕階級との関わりによる堕落。又、官権と結んで巧妙に御用を勤め、ある者は、小銭をためて高利貸を営み、境内に貸家を建て家主とすまし込み、なかにはめかけをかこって女色に耽り、苦悩にあえぐ一般人の精神生活とは没交渉なのである。このような文明を誰が喜んでいるのであろうか。科学は人との関わり無くして成り立たないのである。