勤労の聖僧 桃水 #36(7、桃水禅師と良寛禅師 その四)

?密洲と智伝とが如何に聖僧を慕っていたかということは、後日、?密洲は、桃源寺という寺を建て、智伝は、正宗庵という寺を建てゝいるをもって知る。桃源寺の桃は桃水の桃であり、正宗庵の正宗は、禅林寺に於て、聖僧の講じた正宗賛から取ったものである。
 
聖僧の乞食生活に対しては、聖僧に対するその伝記者の総ては、(宗教生活に徹するために自らを苦しめた)といったふうに観ている。ただ田中茂氏お一人は『何ものをも持たないということが、彼の悟りそのものであったのである。もはや、彼は附属的な苦しみを苦しむよりも、寧ろより以上の満足をもって生活することが出来た』といっておられる。
 
私は、如上の二つの批判の何方にも不満足を覚える。
 
私は想像する。
 
乞食生活に身を投ずる場合の聖僧は、先ず第一に、布施行為に就いてこう考えたであろう。僧侶へ布施したり、他人へ物を施したりすることは決して悪いことではない。否、寧ろ、施し物を受くる行いはよいことだともいうことが出来る。とはいうものの、聖僧へ布施をする者は、私の前に説述したような心をもって布施するのである。それは、釈迦の心とは大変違った心である。従って、釈迦の教えを説く僧侶として、その布施を受くることは、釈迦の心に叛くことである。恐らくは、釈迦は、今の世の中の人々のような布施の心を見ては、受けなかったであろう。釈迦の時代の人の布施する心は、釈迦の心と同じだったであろう。若し、今の世の中に人の施し物を受くるとすれば、僧侶として受くるよりは、乞食として受けたい。それでは、若し、今の世の施し物を受けないとすれば、どうであろうか、名利の巷に生きなければならない、それは釈迦の心に叛くことである。
 
茲に至って、恐らくは、聖僧は、僧侶に布施する時の人の心と、乞食に施し物をする時の人の心との相違を比較したことであろう。
 
布施内容の区別に就いては、私は、それを既に説述した。そして、そのことに就いては聖僧は知っていたであろうと述べた。故に、茲では、乞食に施し物をする人の心を類別するだけが私の義務であろうというものゝ、僧侶への布施と乞食への布施の施し物との相違によって、当時の人の施し物をする心持ちに格段の相違があるものとは思わない。なぜなら、当時の一般大衆は、地獄、極楽なるものゝ存在を信じていた。従って、乞食に施し物をする場合に於てさえも、相当の欲心がその基柢をなしていたことは争うべからざる事実である。それを一口にいえば、死んで地獄へ追いやられて、地獄の責め苦をうけないためには、善行をなさなければならないという心であるが、しかし、斯かる思想を基調としての喜捨行為は、概ね、寺僧或いは行脚僧を相手に行われたものであり、乞食を対象としての喜捨は、概ね、『可哀相だ』といったふうに、慈悲心に富む日本人的性格から自ら湧き出た感情を基調として持っている。或いは、衣食住に著しい剰除を生じた場合に、或る物を『捨てるのは勿体ないから』その物を尊重する観念を基調として持っているものである。更に繰り返していうならば、僧侶へ布施する場合の、一般大衆的心持と、乞食へ施し物をする場合の、一般大衆的心持とは、概括的にいって、その心持の中の主体となるものと従体となるものとが、正に反対なのである。一口にいうならば、前者に於いては、『欲心』が主体となり『善行』が従体となっているに反して後者に於いては『善行』が主体となっており、『欲心』が従体になっている。謂わば、僧侶へ喜捨する場合よりは、乞食へ喜捨する場合の方が欲が少ないといってもよいであろう。従って、仏道に生きようとする聖僧は、その生き方に於て良心的になればなる程、(僧侶として布施を受くるよりは、乞食として布施(施し物)を受けた方がよい)という心理過程を辿るに至るわ必然であろう。
 
私は、如上の立場から乞食桃水への生活革命を観察することを、その観察主体としたい。
『聖僧は乞食となって自らを苦しめようと欲したか否か』の問題に対しては、私は斯かる観察には、それに少しの条件を附して、『同観』としたい。
 
一般の人は、この場合の聖僧の『自らを苦しめる』行為は、『懺悔』の行為である。そこに法悦が感じられると観ておられるであるか、私は、『然からば、自らを苦しめる行為なるものは、乞食行為以外にはないのか』と、反問したい。
 
元来、『苦痛』なるものは、それを区別すれば、そこには種々あるであろう。既に、聖僧は、肥前、武雄、円応寺の、宗鉄禅師の基にある頃は、或る時は、三日間断食した。或る時は、遠く深山に独宿して、二日も三日も寺へ帰らぬこともあった。また或る時は、終夜寺の中庭に立ち続けて経咒を誦したこともあれば、また或る時は、大河の淵の上に出て昼夜の別なく坐禅三昧に入った、―
それは、自ら苦痛を求むる行為であり、自ら苦しめる行為であると共に、その行為の基調をなしているものは、自分の生活に見ゆる五欲煩悩に対する懺悔の心持であった筈である。従って、茲に、自らを苦しめる行為、或いは、懺悔の行為から生ずる法悦境は何も乞食生活をしなければ出来ぬものではない。他の生活行為の上に於いてもまた、自らを苦しむる行為、或いは、懺悔の行為はなすことが出来るのである。
 
茲に於て、田中氏の、『しかし、乞食の群に身を投じた彼は、悟らんがためにそれをなしたのではなく、何ものをも持たないということが、彼の悟りそのものであったのである』という観察が生じて来るのである。が、田中氏の御観察の中にはほかの人の『自らを苦しめんとした行為』という観察に対して、それに対する否定が含まれているが、それは誤謬である。
 
聖僧の生活革命に対する私の観察に拠れば、成程、田中氏のお説の通りで、それは悟らんがための行為ではなかった。しかし、それは『自らを苦しめんがための行為』ではあった。たゞ、それは、ほかの人の観ているが如くは、宗教家意識を持って行われた、宗教家臭い、坊主臭い行為ではなかった。―と斯く私は思う者である。凡そ、その人が真に高僧であるならば、坊主意識をもって自らを苦しむるが如き行為はしなかったであろうとも私は観察するものである。と共に、その人が真の宗教家であるならば、自分を苦しむる行為は、その形式の如何を問わず、(たゞ、彼は宗教家意識を持っては行わないが)生涯それを行うものであると思うのである。