田辺聖恵師己人誌集

「お浄土とは何か」 (その二)

「お浄土とは何か」 (その二) 単なるおたとえでない象徴 極楽国土には、種々の飾り、種々の宝が満ち満ちていると、書かれているのは、やはり事物の姿というよりも、心の世界-法の世界を価値的に象徴してあるものと、とるべきであろう。 インドには美しい…

お浄土とは何か

「お浄土とは何か」 田辺聖恵 愛知県の佐藤幸隆善友よりのお便りに『・・死ぬことは間違いない自分、やはりたまらなく恐ろしくなるのです。七十才になった病気がちな父親に、早く歎異抄やおシャカ様の話をしてやりたい。聖恵先生の浄福を読ませて頂きながら…

「入滅の意味」 確たる伝承

確たる伝承 ブッダ世尊と呼ばれる釈尊が身を捨てられる時、その間際まで、ピクらを教化され、その後々までの弟子たちのあり方を指導された。まさに自己がない方であった。この入滅の一節を拝誦するたびに、私は釈尊が亡くなられたということよりも、その伝統…

「入滅の意味」 幸不幸を超えた世界

「入滅の意味」 幸不幸を超えた世界 二月十五目は、釈尊がその肉身を捨てられた日である。熊本ではネハン会とし、高麗門の寺々では釈尊が亡くなられる時の図絵をかかげ、お祭りをする。その時、門前市として、植木市が始められるので、人々は植木市として知…

「経と律」 (下)

法の施しは一切の施しにまさる。法の味は一切 の味にまさる。法の楽しみは一切の楽しみにま さる。愛欲のたちきりは一切の苦しみにまさる。 (法句経) 『法の施し』 何かの神秘でも運命でもなく 総ては相関縁起して変化する この理法ダンマは真実である こ…

「経と律」 (上)

「経と律」 (上) 「仏教特質」 法ダンマを尊び 喜ぶ そこに仏教者の中心がある 単なる救いでない特質がある 法ダンマは一切に普遍する そこに生きてゆく根拠がある 人間を目覚めさせる特質がある 法ダンマは浄福をもたらす そこに仏教者の帰依がある 生き…

生き方仏教 (下)

生き方仏教 (下) タイの仏教に出家入門しか日本人の修道者(ビク)二人が、日本で千キロの道を野宿しながら旅をするテレビがあった。一人はすでに十四年かで師になり、一人は三年の弟子でこの二人旅である。 成田の飛行場からタイ大使館に行くと、館員全…

生き方仏教 (上)

「生き方仏教」(上) 仏け様が亡くなられるという話は、日本仏教のみを見聞きしておられる方にはピンとこないかも知れない。インドでも釈尊が亡くなられるという事に対して、それではわれわれ凡人と差がないではないかという疑問を持った人がいる。そしてい…

解説とは何か

「解脱をぬきにした仏教はない」 解説とは何か このように到達結果が四通りもあるということは何か仏教の不完全さを意昧するように思われるかも知れない。しかし釈尊は、現実の人間のありのままから出発し、修道の結果も実際に即したものであって、単なる観…

解脱は誰が得るもの

「解脱をぬきにした仏教はない」 解脱は誰が得るもの こゝで釈尊のおことばによる聖典に帰ろう。異教徒のバラモン修行者が来て問う。仏教に於いて真にニバーナ(解脱)を得たビク(修行求道者)が居るのか?と。釈尊は沢山居ると答える。ビクニ(尼)でも同…

解脱軽視の日本仏教

「解脱をぬきにした仏教はない」 解脱軽視の日本仏教 日本に伝えられた大乗仏教とされるものは、ニバーナ(ネハン-真理体得による解脱)では駄目だと批判から出発するものである。もう少し詳しく云うと、解脱という自己一身の苦しみを解決したという心境に…

弟子と信者の種々相 (下)

在家道としての「人間らしさ」 先の慈雲尊者が、「人間らしさ、人間になれ」という在家指導になったのは、その人柄もあるが、原始仏教経典(アーガマ)に馴染み、釈尊仏教のあり方を歴史的事実として捉えることが出来たからであろう。大乗経典だけしか知らな…

弟子と信者の種々相 (上)

常識を土台とせよ ある宗教団体で、二千組もの集団結婚が、教祖の霊感的指名によってなされて有名?になつたことがあるが、これを常識線上のものとは思えない。熱心ということと狂信は全く違うはずである。それは常識を土台にしているかどうかである。常識と…

原始仏教の特長

原始仏教の特長 「原始仏教の特長」仏教を思想として云々するのもそれなりに有益ではあるが、信仰や宗教にはならない。ハンニャ心経を思想として読むのでは哲学にしかならない。もし体得となればその方法が必要だが、心経にはそれがない。 「仏教を思想とす…

結果が明白な釈尊仏教

「結果が明白な釈尊仏教」 小学生でも自分の学業の結果を知りたいものである。そこで自己確認をしたり、反省をしたり、次の励みともする。成績表を軽くあしらったり、点数だけで云々するようではまさに親業失格。つまり結果は単に可能性を意味するのではない…

「尊信のある民主主義」(下)

「尊信のある民主主義」(下) (一善友)―私はまず「自分の在り方のより所」がほしいのです。仏教の事は全く分からないので、現代仏教入門という本を読んでいます。あまり分かりやすくはありませんが、法こそより所とあります。今は哲学的な本を読むのを止…

「尊信のある民主主義」 (上)

「尊信のある民主主義」(上) 日本の政治あるいは政治家に自浄能力が作動するか、と誰が本当に考えるであろうか。まあ困ったものだ。だがあまり変りばえはしないだろうーとまあ大方の人が他人ごとのように考える。 それはこの民主主義的?政治形態及び政治…

信者の五法

信者の五法 仏教の在家信者としては、三宝を信じるだけで信者として認められる。日本の場合は仏け様かご本尊様を信じれば信者という事になるが、その中味を聞き知るという事があまりなく、むしろそのお救いやご利益を与えて下さる、その力を信じるというのが…

直信者の在り方

「直信者の在り方」 直弟子という言葉はあるが、直信者という言葉は恐らく無いであろう。釈尊の時分には、直弟子は出家者であり修道をする者であった。いわゆるビクでありビクニ(尼)である。信者は修道をしてもよいが、一般には信仰と浄施をする在家者とな…

「日本宗教の無拘束と不毛」 仏教の非難され易い点

仏教の非難され易い点 儒からは、忠孝の道が欠けている-とされる。これは出家によって親妻子を養わないからである。釈尊仏教は妻子の生活の道が立った上での出家である。在家の信者は政治体制への順応や、孝道など親子の道は充分に教えられていた。日本仏教…

「日本宗教の無拘束と不毛」  仏教者は応答せよ

仏教者は応答せよ 日本仏教には、各宗派はあるが、原始が明立していない。これは日本人の体質としての絶対不在によるものではあるが、宗教の本質上からみれば、まことに奇妙なものである。なぜなら、宗教は絶対への帰投、ないしはそれへのあこがれなのだから…

日本宗教の無拘束と不毛

慈雲尊者 法語抄 宗旨がたまりは地獄に堕するの種子。祖師びいきは慧眼を害するの毒薬。今時の僧徒多くは我慢偏執ありて、我祖は仏菩薩の化身なりと云ひ、天地の変陰陽の化をとりて、我祖師は不思議の神力なりと説き、愚痴の男女を誑す。仏説によるに、末法…

真のリーダー

「真のリーダー」 釈尊の仏教が、多くの信仰や宗教との違いを見せるのは、開祖である釈尊自身が真のリーダーであるという事である。人間を超絶した偉大な力や絶大な愛を持つとされる神や仏けを、信仰の対象とす第六十一項は「三宝聖典」の中の名所である。こ…

「活き活きとした信仰」 (下)

「活き活きとした信仰」(下) 釈尊仏教が何故、活き活きとしたものであったのだろうか。それは『人間対話』であると私は考える。このアバヤ王子は難問に対してどんな反応を、この高名な宗教者は示すであろうかと大きな興味を持って対話する。それは絶対仏に…

「活き活きとした信仰」 (上)

「活き活きとした信仰」(上) 『小次郎、破れたり』と武蔵が釘をさした一節を思い出す。こんな比較をしてはお釈かさまに対して申し訳ないが、ここの所を拝読するたびに、いかにも信仰が活き活きとしたものであった事を、強く思わせられるのである。金ピカの…

「非情の正導」 (下)

「非情の正導」(下) 釈尊の時分には、借金や病気があったりする者は弟子にして貰えなかった。それらは世俗生活の持ち越しになり、他の修道者の迷惑にもなりかねない。何分にも自分で托鉢に行き、野宿する修道生活だから、日本のお寺の跡とりなどというのとは…

「非情の正導」 (上)

「非情の正導」(上) 病い重くしかもなお、未だ悟りにゆきついていない弟子に対してこれはまた何と非情なことであろうか。お前はこの信仰の道に入っているのだから、必ず救われる、何も案ずることはない、といったいわば労りの言葉をかけられるのが、本当の慈…

「在家者の修行」 (下)

「在家者の修行」(下) 修行又は修道は目的達成のための中心行動である。その行動が持続するためには、その準備と明確な目的が必要である。この三つワンセットを「戒・定・慧の三学」と云う。戒とは修道生活をしてゆく為の道徳規律である。最低五つ。「殺・…

「在家者の修行」 (上)

「在家者の修行」(上) 在家信者と出家修行者との違いは、修行をするかしないかの違いと云ってよいかも知れない。原始仏教においてはその事がハッキリしている。その修行とされていたのは主として静思(ジェーナ=真理の瞑想)である。もっとも釈尊は三種の…

四段階の静思 (下)

「四段階の静思」(下) 釈尊仏教と称されるべき理由 原始仏教・部派仏教・後期仏教と歴史的に見ると、それが理論中心である事が分かる。だが宗教である以上は、その理論を通してどの様に人間形成がされ、宗教者としての人格的生活活動をするか、という事が…