日本宗教の無拘束と不毛

  慈雲尊者   法語抄
 宗旨がたまりは地獄に堕するの種子。祖師びいきは慧眼を害するの毒薬。今時の僧徒多くは我慢偏執ありて、我祖は仏菩薩の化身なりと云ひ、天地の変陰陽の化をとりて、我祖師は不思議の神力なりと説き、愚痴の男女を誑す。仏説によるに、末法には魔力を興盛にして多くかくのごとき事ありと示し給ふ。もし真正の道人あ真正の仏法を求めんと欲せば、唯仏在世を本とすべし。仏世には今の様なる宗旨はなかりき。

正法は信すべき事なり。衆生無量の中、仏の正法を信ずる者いくばくかある。経中に、人中に生を受る者は爪上の土よりもかたし。地獄にある有情は大地の広きが如し。~
又六道の中には人身得がたく、人身の中には正法に遭ひがたし。正法の中には出家する事実にかたし。今幸に受けがたき人中に生をうけ、又遇ひがたき正法に遇ふ。~

 「日本宗教の無拘束と不毛」
上掲の一文は江戸時代末期に真の仏教を興起せしめようとした慈雲尊者の名著「十善法語」の中の一節である。

仏教は確に外来思想であった。そして世俗のあり方よりも、聖のあり方に重点が入っているために、内外からいろいろと誤解や非難を受けている。昔も今も同じ問題をくり返えしていることがこの一文によって知られる。

日本人はもともとあまり聖へのあこがれが強い民族ではない。自己を超越するものを、次第々々に自己の次元に引き下げることによって、その思想や信仰を摂取する民族である。

封建制度が長く続き、徳川三百年の平和時代があったということは、外国の歴史からすると、全く珍らしいとされる。それは日本人の中に、完全なる聖へのあこがれが強烈ではなかったことによるのではなかろうか。

徳川将軍をお上とは云うが、超越的存在とは誰も思わない。政治権力の大きなものとは思うが、それに信伏するということはない。公けの価値としては認め従うが、将軍個人を尊崇するというわけではない。

信仰の世界でも、早くから、仏教が導入されてはいるが、神道と併存してきたし、この両者の中で、血を流すような深刻な争いは起きていない。それは宗教者自身に、絶対聖という観念が強烈でないことによる。

宗教者自身が、一般大衆の宗教心情や期待から輩出してきたものだから、日本の民族性が、絶対不在的発想方法を持っていることによるとせねばならない。

この絶対不在の心情は、新しいもの、自己に不足しているものを見つけては、積極的に進取、導入する。儒教、仏教、キリスト教、西洋哲学、科学、社会思想とまさに日本は外来文化オンパレードである。このことが、すべてを相対的に見、相対的に比較し、批判することになる。日本民族の資質は、こうして、よく云えば磨かれてき、悪く云えば、つねに動揺をくりかえしてきたとみるべきであろう。主食とする米ですら外来のものであるから、本当はすべて外来とみるべきなのかも知れない。その米が作りすぎて困るという皮肉さは、思想、宗教、物質文化においても云える。まさに雑居ビルのように、何もかも溢れている。そして何が本物かということは、大衆の側においては、いつの時代にも明確につかむことが出来ない。

それは丁度線香花火が、つかの間の輝やきしか見せないのに似ている。絶対不在の日本心情は、個の束縛を解決、解放する、最適の土壌ということになろう。

宗教的束縛を、国家の権力で無く、大衆自らの手で持たなくなるという先進国家は他に例がない。

ある時は儒教から、ある時は明治政府から、今曰は教育界から、そして唯今は、信者そのものから、仏教は批判されつゝある。それも外部からの批判の時機を通りこして内部批判の時になったのである。つまり外形から本質が問われるという時になった。まさに仏教が、本物で勝負せねばならぬ時にきた。つまり仏教が再生再起の端緒についたということである。

かって紀元元年前後、当時のインドの僧侶のあり方を批判して、大乗仏教が自己改革を起した。日本に入った仏教は長らく政治と密着して、民衆支配をしてきた。鎌倉時代になって初めて、個に目覚める仏教の本来性にゆきついた。

ところがこれも、徳川時代に政治の中にくりこまれ、僧侶の安逸が続く。自己保存のために、管理者側に立つというあり勝ちな道をあり勝ちに歩んできたのである。そしていよいよ今日、欲望増長の新興宗教の蔭にかくれて、自己の存在を内部から問われるようになってきた。まさに画期の時がきたのである。
(浄福 第52号 1977年12月1日刊)          田辺聖恵


https://blog.with2.net/link.php?958983"/人気ブログランキング