「日本宗教の無拘束と不毛」  仏教者は応答せよ

 仏教者は応答せよ
日本仏教には、各宗派はあるが、原始が明立していない。これは日本人の体質としての絶対不在によるものではあるが、宗教の本質上からみれば、まことに奇妙なものである。なぜなら、宗教は絶対への帰投、ないしはそれへのあこがれなのだから。

慈雲尊者の一文によって、いつの時代も、宗派間のあまりにも相異した外装が、部外者に誤解をもたらし、かつ非難される原因となってきたことを知ることが出来る。

宗派はそれぞれ自宗こそ、原始に直結する正統派であると自己主張することのよって成立している。それが今日のように、左右極端な違いを見せるようにになったのは、。原始へ、の徹見が導入への端初から不充分だったことによる。何しろインドつまり現地に直接行った者は、最近まで一人も居ないのである。すべてシナを通しての間接導入であるから、外形、内容が異様なまでに喰い違ってくるのは、むしろ致し方がなかったとみるべきであろう。

又、鎌倉期に、法然親鸞道元日蓮といった宗教的天才が一度に出すぎたということが大きな原因ともなっている。同時に輩出すれば、相互批判が無意識的に働らき、特徴、異相を打ち出してゆく原因となる。

天才は自己を深める能力と共に、自己化してゆく(他を)能力も又強いものである。そういう意味で日本は、宗教的天才や達人を持ちすぎているのではなかろうか。それは絶対不在の土壌だからだ。

このように、導者にも、信者の側にも、絶対不在の体質があるということはつねに、批判が内外共々にうずを巻くということである。

従ってその圏外に立つことによって応答するか、それを修業、自己研修としてそのうずの中で応答してゆくか、二つの応答の仕方がなされねばならない。

前者は個に徹し、自らの生き方によって応答するのであるから一流者である。後者は大衆とかかわりの中で応答するのだから、二流者である。なぜ二流かと云うと、大衆に必らず迎合の面を持つことによって自己存続をはかるからである。

しかし、一般社会は、この二流によって影響を受けてゆくのであるから、これを軽視することは許されない。そこで一流(原始志向者)と二流との文流が必要となる。こうして仏教者は、二つの応答をせねばならない。もし二流者が大衆の要望(葬式、読経、祈祷な ど)に迎合のみして居ればこれは亜流であって、二流でもなくなってしまう。

こうして、ごく少数の一流者によって原始志向がなされる時、二流の革新、蘇生が計られる。日本民族の長所でもあり短所でもあるのは、この原始志向力の弱さである。やたらに新らしく新らしくと変えたがる。電気製品を変えるのと、精神処産を変えるのと同じ性向なのだからお粗末としか云いようがない。それは又、そうした原始志向者への尊敬供養の貧弱さが最大の原因となる。

真の仏者の育ちにくい土壌は、逆に云えば、そうした宗教的雑種性の強い日本の土壌の中でこそ、ごく少数の原始志向者が生み出されるのかも知れない。ビルマ・タイ・セイロンなどの仏教的土壌が濃厚なところでは、かえって原始志向性はうすれ、外形の伝統維持が主流となりやすいのではないか。いずれにしても、日本の中で仏教は求道されねばならない。日本的心情をいかに統御するかという問題をつねにかかえながら。
(浄福 第52号 1977年12月1日刊)          田辺聖恵