解脱軽視の日本仏教

            「解脱をぬきにした仏教はない」
 解脱軽視の日本仏教
日本に伝えられた大乗仏教とされるものは、ニバーナ(ネハン-真理体得による解脱)では駄目だと批判から出発するものである。もう少し詳しく云うと、解脱という自己一身の苦しみを解決したという心境に留まっていてはいけないというのである。

例えば、妙法蓮華経は日本で最も学習の対象となったお経であるが、このお経の第七章は化城譬品となっていて、その解脱(死を恐れる、死者からの解脱)を幻の城とし、一応それを仏教として見せかけ、到達させるが、さらにその先の大衆指導をせよとすすめ激励するのである。

もっとも日蓮宗天台宗曹洞宗など、この法華経妙法蓮華経の省略)のそのようなところは信者にあまり伝達も解説もされない。従って南無妙法蓮華経と毎日題目を唱える日蓮宗の信者にしても、そのような内容の受け取り方はしていないようで、たゞこのお題目、本尊が一番ありがたいのだから、このご本尊を信じればよい、といったふうになっているようだ。そうすると信者は自身の期待や願いがあるから、商売繁昌を願ったり、病気が治るといった霊力みたいなものを祈るようになる。

南無妙法蓮華経を唱え、信じて、そのような願いをする新興信仰団体に、霊友会、立正佼正会、創価学会などがある。しかし、何も新興のみでなく、昔からある身延山を本山とする日蓮宗そのものが、このようなご祈祷をしきりにやっているのだからその亜流が次々と派生して、信者層を作るのは至極当然である。これに反して、ナムアミダ仏系統で新興教団が派生しないのは、右のような目先の御利益というものを否定する方式だからであろう。つまり亜流というか俗人の物的欲望に迎合するものほど次々と作られ易いのである。

しかし、今ここでそうした病気治しや商売繁昌を祈ることの是非を問題にするのではない。日蓮上人そのものがいわば栄養失調で病気となり、寒気の厳しさもあったろうが、(慢性下痢)六十二才で亡くなっている。第一の経と(経自体の中にある)称される法華経はなぜ解脱を未到としたのか。それは法華経が作られる紀元前後(釈尊が亡くなられて四百年位あと)のインドの宗教求道者(坊さん達)が自己の解脱のみを求めて、大衆(信者)指導をやろうとしないのに、強い批判を持った在家の信者達の、いわば頭のいい金持エリートが、俺たちが立上って宗教活動をやらねば仏教はダメになる、出家のビク達ではダメだといった趣旨で作ったお経だからである。

 出家のビク(修行者)-自己の解脱(ニバーナ)を求める
 在家のボサツ(宗教活動者)-大衆指導をやる

このようにパターンを考えたのである。そこで解脱を求めるものはレベルが低い、だから小乗だと軽蔑し、自分たちは大衆指導をするから、釈尊、仏けと同じように仏け(理想者、指導者)になれるはずだとしたのである。まさに釈尊へ帰れという復帰運動の形をとったのはよいが、解脱(ニバーナ)ということを一足跳びしてしまったために、たゞ成仏する、成仏でなきゃいかん、ではどのお経でなら一番早く仏けになれるかといった、成仏競争となってしまった。

ところが、その解脱そのものがはっきりしないために成仏成仏という空さわぎものになって、この解脱(ニバーナ)の内容を成仏と云うようになってしまった。つまり自分が軽蔑した内容に落ちこんでいるのに気がつかないという、全くどうしようもないことになってしまっているのが現在の日本仏教である。

それは解脱という仏教者としての最終目的をはっきり説いた釈尊仏教を素直に伝承しようとしなかったからである。

 仏教修行の基本-最終目的-解脱(ニバーナ)
 仏教専門の活動-無限理想-正導(成仏)

釈尊仏教はこの目的と理想とが一応分けられ、しかも統合一貫していたのであるが、日本ではこの二つを別々にしてしまったために、次々と疑問を生じざるを得ないようになり、今日のように社会がふり向こうともしないものになってしまったのである。
(浄福 第73号 1979年10月1日刊)    田辺聖恵


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