生き方仏教 (下)

  生き方仏教 (下)
タイの仏教に出家入門しか日本人の修道者(ビク)二人が、日本で千キロの道を野宿しながら旅をするテレビがあった。一人はすでに十四年かで師になり、一人は三年の弟子でこの二人旅である。

成田の飛行場からタイ大使館に行くと、館員全部でこの二人に最大級の尊敬と食の供養をする。タイではたとえ大臣といえども、無名の出家修道者に敬意を現すのが普通である。

さて十五キロの野宿バッグを背負っての旅が始まる。金銭を持ってはいけない、受けてはいけないだから歩く以外にはない。一度駅でお金を持たないが乗せてくれないかと交渉したが、勿論駅員が承知するわけがない。タイでは恐らく無料で乗せてくれるのであろう。

アメリカでも神父さんのバス代を取らない場面を見たことがある。さて食事であるが、托鉢で供養を受ける生活法であるから托鉢をするのであるが、日本ではこれに応じる宗教習慣(というか教養習慣)がないから、一般の方がとまどう次第。何しろ仏教信者といえども、供養というと死んだご先祖にお経を上げてもらう事を先祖供養として、生きている修道者にご飯をさし上げる事が本当の供養だという事を知らない。つまり読経料をさし上げてすませている。これはお坊さんの労働報酬を支払ったので供養(布施)ではない。

本来供養(布施)はお坊さんかに何かしてもらったから払うのではなく、ただただ敬尊と感謝自分の幸せを願って受けてもらうものである。すると修道者はその尊敬を受けるだけの誠実な修道をしている事が前提だという事になる。何しろ一日一食で野宿だから、それだけでも普通者がやれるものではない。

悟った人を応供(アラハンの聖者)と称するが、これは供養に応ずる資格のある人という意味である。仏け様である釈尊の呼称にもこの応供がついている。釈尊もまた毎朝、托鉢をされ、信者さんに供養(善施の功徳を積む)のチャンスを与えられたのである。

これが中国に仏教が入ると王権の干渉をさけるため、山にこもって自給自足の態勢にしてしまった。「一日耕やさざれば一日喰わず」という有名な言葉がある。だがこうなると大衆との接触、修道者と信者との互恵関係は無くなり、孤高的な空の追求になってしまう。

釈尊はビクが生活(収入)業をしてはならないと定められた。兼業僧侶は決して望ましいものではない。本来、出家までして修道するのは、幸福日常を超えたいわば絶対境を求め、かつそのように生活するためである。単なる心得や観念を体得するものではない。どの様に毎日生きるかが、釈尊仏教なのである。

さてこの様な生活のきまり(戒律)を守っての二人のビクが、お寺の小屋の片隅でも寝させてくれと申しこむが、二ヵ所ともこれが断わられる。本物僧侶への反発としか考えられないが、それにしてもこれが日本のお寺かと、情けなく思うのは私だけだろうか。

日本の仏教がいかに観念の世界で、生活のレベルになっていないかという事のこれはまさに象徴であろう。もっともこの二人は日本人だからある程度は予想していたかも知れない。

この短いお経の中に、信者大衆の在り方が説かれている。単なる心構えでなく、まさにより善き生活法である。死んでから先どうのといった事ではない。また信者には仏法を奉じ、ビクビク尼を敬い、清き信仰を持つ者を守れと教えてある。

宗教とは教えによる自己革新ではあるが、それはその様に生活せよという事で、タテ前と本音を分離させてそれが生活の知恵などと平気でいられる様なものでない事をよくよく考えたいものである。
三宝 第166号)   田辺聖恵