2010-03-19から1日間の記事一覧

「活き活きとした信仰」 (下)

「活き活きとした信仰」(下) 釈尊仏教が何故、活き活きとしたものであったのだろうか。それは『人間対話』であると私は考える。このアバヤ王子は難問に対してどんな反応を、この高名な宗教者は示すであろうかと大きな興味を持って対話する。それは絶対仏に…

「活き活きとした信仰」 (上)

「活き活きとした信仰」(上) 『小次郎、破れたり』と武蔵が釘をさした一節を思い出す。こんな比較をしてはお釈かさまに対して申し訳ないが、ここの所を拝読するたびに、いかにも信仰が活き活きとしたものであった事を、強く思わせられるのである。金ピカの…

三宝法典 第二部 第六〇項 王子と法義説

王子と法義説 時に世尊、ラージャガハのカランダカニバーパ竹林園にとどまりたまえり。ビンビサーラ王の子、アバヤ王子がニガンダのナータプッタを訪ねたる時、ニガンダは言えり。 「王子よ、シャモン・ゴータマの論を破るべし。さればおんみの名声は天下に…

三宝に帰依

導く者のあり方 では釈尊仏教は、どういうものであろうか。信者、初心者側から始まるのでなく、導き手から話は始まるということを第一項(三宝聖典 第一部 第一項 三宝 )は示す。釈尊は直弟子であるアーナンダに「おんみみずから、かれらを導かんとなすなれ…