解脱は誰が得るもの

             「解脱をぬきにした仏教はない」 
  解脱は誰が得るもの

こゝで釈尊のおことばによる聖典に帰ろう。異教徒のバラモン修行者が来て問う。仏教に於いて真にニバーナ(解脱)を得たビク(修行求道者)が居るのか?と。釈尊は沢山居ると答える。ビクニ(尼)でも同じだと。ここまでは出家して専門に修行する男女であるから、解脱という体験を生きている中に出来るのは当然かも知れない。現在の日本ではあまり出家の本格求道者は居ないから、本当に解脱できている人がどの位居るか考えようがない。日本山妙法寺の方々と臨済宗の方々に出家が多いと聞くが、出家イコール解脱ではない。出家とは解脱への条件の一つなのであるから。

さて、出家者でない信者(ウパーサカ=男の信者、ウパーシカ=女の信者)にとっては、信者ははたして解説を得ることが出来るのかどうか、が関心のあるところである。信者といえども仏教者である以上、最終目的をめざしたいはず。

質問に答えて釈尊は、信者にして最も熱心な者は清浄の行をなす者は信を得て、五つの煩悩を断絶し、この世に再び帰りくることなく(不還果)、死後ニバーナの世界へ進んでゆくとされる。そしてまだ欲が残ってはいるが、怒りや愚ちの心が少くなった者は、この世に一度生れ返ってきて、今度は早く信仰、求道に縁があり、生きている中に目的達成を目指すことがで来る。欲も怒りも愚ち(真理を知らず鉢得できない)もまだ大いにはあるが、ブッダ釈尊三宝への信がはっきりしている者は、信仰の流れに入って(予流果-信仰の流れに予り入る、かかわりが強くなる)もう二度と他の信仰などに迷ったり、無信仰にあと返えりしたりしないようになる-と。これが正定聚とされる。

つまり釈尊仏教では、求道の熱心さに応じて四つの結果にそれぞれゆきつくとされる。これを四向四果という。四つの方向に進み、四つの結果があると。

  出家求道者-ニバーナヘ到達=アラハン果(生きている間に到達)
  出家求道者-再び生れ返らず=不還果          
   及び信者 一度生れ返る=一来果
        限定されない=予流果

解脱という仏教目的を達成するのは、生きている間にが一番いいのは勿論であるが、これはよほどいろいろ条件その他が揃わねば出来ない。しかし出家者にしても皆が到達するとは限らない。又、信者がどのように熱心でも生きている間にニバーナは体得出来ないとある。もしニバーナ・解説を体験する時は出家をするか、生命を捨てねばならないとなっている。まことに厳然としている。それは絶対の境地を意昧するのだから。誰でも直ちにパツと成仏(理想者)できるなどといった甘い話などではない。それは事実の問題であるから。
(浄福 第73号 1979年10月1日刊)    田辺聖恵


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