「入滅の意味」 確たる伝承

確たる伝承

ブッダ世尊と呼ばれる釈尊が身を捨てられる時、その間際まで、ピクらを教化され、その後々までの弟子たちのあり方を指導された。まさに自己がない方であった。この入滅の一節を拝誦するたびに、私は釈尊が亡くなられたということよりも、その伝統を少しでも受けつごうとすることに真の意欲をかり立てられるのである。また、ー私自身はどうか、と反省させられるのである。あまりにも遠い昔のことだから悲しくないのではない、悲しみを超越した世界というものを強烈に教えられるからなのである。

悲しんでなどいられない、法の厳しさ、仏教者に与えられている使命、それは求道と正導である。ブッダ(理想者)とダンマ(真理)とサンガ(仲間)この三宝に対して、こわれることなき信仰、確信があるかないか、道、行法(八聖道)をどの程度実践しているか。日本では大乗仏教となったために、この八聖道は、念仏、禅、唱題行などの形に変容され、その八聖道の用語は全く使われなかった。

三宝への信と、八聖道が行われないところには、釈尊仏教はないのである。釈尊は、自らの弟子衆に対し、その一人なりともそのことに疑惑を持たず、実践する者と承知・認容されたのである。今日の日本では、三宝の名すら滅多に口にされず、いたずらに宗祖のみが強調されるというのであるから、このことこそ悲しむべきことなのである。日本の宗祖方は、皆、釈尊仏教を心がけたに違いないのに。日本の宗祖は皆、釈尊の後継者、伝承者でなければ、仏教者ではない。その伝承は、信と実践である。つまり少しでも釈尊の大智、大慈悲、その信と行跡をまねたいとするところにある。

商売繁昌や、病気直し、あるいは恍惚の世界を売り物にして、釈尊を直接に否定する創価学会釈尊は脱益の仏けと云って否定する)あるいは、舞台装置もはなやかに、金銀あやにしきの衣などでこけおどしをし、人々を眩惑するようなのは、全く釈尊仏教と無縁のものである。(アミダ仏は方便、うその仏と学会は否定する)

猿芝居のように、衣装を着飾った祖師が居たであろうか。法然、親らん、道元日蓮この各祖師方、みんないわぱ喰うや喰わず、「祖師は紙衣」と云われるほどの生活だった。そこに釈尊への追慕があったのである。今日、仏教行事が派手になればなるほど、釈尊から遠いことを知らねばならない。この師と弟子のあり方から、初めて信者のあり方が出てくる。日本仏教はあまりにも信者を主体にし、そこから知らず知らず、求道の弟子のあり方をも変えてしまった。これが八聖道が行われなくなった本当の理由なのかも知れない。

釈尊が入滅される直前になぜ信者について言及されなかったのか。それは出家仏教で信者を主としていないということではなく、出家直弟子達が正当であれば、信者への正導も又、正当に行われるという、弟子への満幅の信頼があったからである。

これからの日本仏教は、この釈尊の意に一歩でも近づき、その宗派の信と行法が八聖道といかに直結しているものであるかを論証し、実証しなければならない。さもないと結局、一新興教団に堕してしまうからである。世界の平和が真剣に考えられねば、地球が破滅するという危機の時代になって、真の世界平和原理をどこに見出すか、私は、釈尊が二千五百年前に見出した縁起の真理しかないと思う。

そのことを声を大にして啓蒙運動を更に増大せねばならない。その真理から導き出される生活方法は少欲知足である。便利生活に走り易いのを、一日一食の質素な歩みをされた釈尊を恋慕することによって、少しでもあやかってゆこうとするところに仏教者の生活がある。世界がもし少欲知足を少しでも取り入れたなら、たちまち平和が本物になるのであるが、この原理はまさに足許からである。入滅の日に考えねばならぬことは、それこそ山ほどあると云わねばならない。
(浄福 第77号 1980年2月1日)  田辺聖恵