2010-03-13から1日間の記事一覧

四段階の静思 (下)

「四段階の静思」(下) 釈尊仏教と称されるべき理由 原始仏教・部派仏教・後期仏教と歴史的に見ると、それが理論中心である事が分かる。だが宗教である以上は、その理論を通してどの様に人間形成がされ、宗教者としての人格的生活活動をするか、という事が…

おりじなる童話 ふしぎなおじさん

吉永光治のおりじなる童話 ふしぎなおじさん ともじは はらっぱで あせを とばしながら くさを かきわけて バッタを さがしいます。 「どうしてかな。いっぴきも つかまらないや」 かぜが とつぜん ともじの あしもとを ふきぬけて いきました。 かぜが はし…

「仏教真理とは人間のすじみち」 苦行から正行へ

「仏教真理とは人間のすじみち」 苦行から正行へ 釈尊は二人の仙人について精神統一を習い、その師らと同じ程度に熟達したが、その哲学においてもの足らなくなり、ついに小高い山に(前正覚山)登って、六年間の難行苦行に入る。それは実に徹底したもので、…

三宝法典 第二部 第五四項 デーバダッタと供養

デーバダッタと供養 時に世尊、正導の旅をなしたまい、ラージャガハに帰りて城外の竹林精舎にとどまりたまえり。これより先、雨久しく降らず、稲かれて食を乞うに難くなりたり。 すぐれしビクらは所々にて食を得たれど、デーバダッタは思うにまかせず、それ…