2010-03-17から1日間の記事一覧
「非情の正導」(下) 釈尊の時分には、借金や病気があったりする者は弟子にして貰えなかった。それらは世俗生活の持ち越しになり、他の修道者の迷惑にもなりかねない。何分にも自分で托鉢に行き、野宿する修道生活だから、日本のお寺の跡とりなどというのとは…
吉永光治のおりじなる童話 ガラスのコップの話 だれがおとして わったのか ガラスのコップが ないていた つきよのばんに ないていた コップのなきごえ きいたのか にわのこおろぎ やってきて ガラスのコップに ききました 「どうして ないているのです」 コ…
アジャセの病い ビンビサーラ王は、その夫人がアジャセにとじこめられてより、食をたたれて、わずかに窓よりギッジャクータ山の木々の緑を仰ぎ見て、心の慰めとせり。太子はこれを聞きて、その窓をふさがしめ、足裏をけずり立ち得ざるかごとくなせり。 その…
釈尊出生の意義 (下) 個人の目覚め 物欲のはげしさで、今、日本中がわき立ち浮き足立っているのは誰でも知っている。そして世界の軽蔑のまととなりつつある。丁度、それはかってのアメリカのよう。貧しさが非行の原因だったこともある。しかし今や豊かさが、…