「三宝」71号 五つの幸福原理 #5(実行原理 ニ)

 Ⅳ、実行原理(二)

口先だけで、立板に水を流すようにペラペラとしやべればセールスが出来るなどと思ったのは昔のこと。しかし今でも自分は口下手だからセールスには向かないと思いこんでいる人は多い。売って儲けることをセールスと思いこんでの話。それは価値あるものを相手の便利な形にして提供するということが分からない、自己本位の考え方である。自己本位は必ずゆきづまる。人から金をしぼり取って儲け出しても、妻子から嫌われて本当の幸福を味わえない話しは多い。自己本位と自立的に行うということは違う。自分から働くのではあるが、我欲中心であってはいけない。この世の中は自分一人でなりたっているのではないからです。

 4、自律-そこで集団、社会という団体、家庭の中の一員という、全休と個をよりよく調和させるルールというものが必要となる。それが規律。殺生、盗み、みだら、.うそ、酒飲み、この五つは人間として最低の規律として守らねばならない。酒は飲まれてはいけない。日本は飲酒天国と云われ、酒の上でのことだからと、おお目にみる習慣があったが、飲酒運転はいよいよ法律でも取り締まるようになってきた。これらの規律を自分で進んで守るようにならねば、何ごともなしとげることは出来ない。無規律な現代が、沢山の不幸を生み出していることを気付こうとはしないのは実に重大問題である

 5、仕事-人間とは吸収して排出するものである。単細胞の動物であれ、高等の動物であれ、生きているものはすべて、吸収し排出する。その吸収排出が働くということ。「人間とは働くもの」と云える。ところが現在は、レジャーを楽しみ、遊ぶための金を得るために働くとなってきている。ミミズやトカゲが何を食べて生きているのかは知らないが、どんな小さな生き物も食べて生きるために働く。吸収獲得することは、必然的な要求であり、それが得られるという希望があるから、働くことは楽しいものである。しかしそこに緊張が生じ、吸収し、いれかえたあとのカスが出来るから、それを排出せねばならない。そのことが休息であり次ぎの働く力を生み出すことになるから、レクレーションである。働きと休息。その間に実りという目的が入る。働き-結実-休息。ところが現代はこの人生の結実を見失っているために、なるべく少なく働いて多く収入をとり、うんと楽をしょうとなり、ついに遊ぶ金が欲しくて人殺しまでするようになる。

働くことの意味、ねうち、喜び、楽しみというものを大いに噛みしめねばならない。その仕事をすることが生存の意義であり、その仕事によって、物を生産し、人格を作りあげ、人間関係をよくし、本当の文化を創造することになる。

 6、努力-「一日働かねば一日喰わず」と古人が云った。働くために食べる。単なる動物は生きるために喰う。この動物ですら、ずい分と努力している。ヒラヒラ舞い遊んでいる蝶ですら、青葉の裏側に沢山の卵をきちんと生みつけているのに驚く。人間が時間から時間まで働いて努力と云えるであろうか。

経営学ドラッカーは云う。「手工業者の働く時間はますます短くなり、経営などの知識勤労者の働く時間はますます長くなる」

昔は多数の労務者を少数の知識者が統御していたが、今や人口の三分の二が知識産業に従事するようになってきた。努力が単に時間を長く働くということでなく、仕事を成功させる目的に合致する知識的な質が、努力の内容ということになってきた。大学が増えるのは、こうした知識勤労者の要求が多くなってきたからである。ところが単に知識だけを吸収し、努力の心をみがきあげないと、その知識を活用出来ず、したがって認められないので、世の中をうらむようになる。努力とは実行の継続であり、量や質を増大させることである。単発ではだめということ。タレントでも努力をしない者は二三年で姿を消してゆく。ましてや人間経営を目ざすものにとって、努力しすぎるということはない。

 7、集中-努力しているうちに、何をやっているのか分からなくなることもある。下手な鉄砲も数うてば当たるというが、狙わずにうつより狙ってうった方がいいにきまっている。そこで常に初めの目的を思い出し、これを強く思うという目的への精神の集中が大切。ところが、遊ぶことにはたやすく集中できても、働くことに集中するのには、やはり訓練が必要。そこで目的を図として書きあらわし、この図を何度も何度もみつめること、出来れば、一室に静かに坐って何も考えないという実習をすること。何も考えないということはやさしいようで実は一番むずかしい。すぐに雑念がわいてくる。そこで一日に三分、十五分、三十分を目標に静かに心を沈めるということをやりたいもの。たとえ毎日出来なくても、そうしたいと思うまでに心が成長してくれば、それだけでもすでに効果をもたらす。 8、深識ー目的に心を集中することを毎日やっていると、もう寝たまも忘れないというほどに、心の奥底にこれがやきつけられる。心は毎日話したり考えたりする表面の心と、ずっと奥にある深い心と二重になっている。そして奥の心、深い意識の方が実はずっと私たちを動かしているので、そっちが本心ということになる。

やったがよいか、よしやろう、と決意し、それが深識(奥の心)にやきつけられると、何ものも恐れないような強い心の力となる。本当のやる気というのはこの深識になった時のことである。それが単なる催眠術式でなく、考えるだけ考えてからなされるということが、その人を一生でも動かし続ける強い力となる。

この世の中で偉大な事をなしとげた人というのはこの深識を活用した人である。宗教で救われるとか覚るとかいうのは、この深識でそう感じ受け入れ、確実に定着することである。こうなると、その人の心と行う身体とが一体となるので、統一された動きとなり、一切のムダがなくなり、喜びと成功が生じてくる。このように実行原理八つの項自を実習し、事をなせば、価値あることならば、いかなる難事をもなしとげることが出来る。


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