やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #2(考えることを習慣化する)

「考えることを習慣化する」    
 
だから頭のある人間は余計使わなければ、当然問に合わないわけで、教育問題もガタガタしているけれども、考えるというのは、発表する能力と、考える能力とは一種の相乗効果というか、相関関係にある。考えも発表しないと進まない。
 
これは私が自分で文章を書いているから分かる。文章を書く場合に、ある程度のメモを作る。メチというか頭の中にメモを作るとします。それをどれだけの内容に広げるというのを、枠を作っている、私の場合は。最初から原稿用紙に十六枚なら十六枚とこう考えたらそれこそとても書けない。ところが実際には書ける。前は原稿用紙作っていた。原稿用紙というのは原稿作るのに原稿用紙は使わないんです。便箋で全部書いていた。便箋に十六枚、大体便箋に書き流した場合三百五十字位になる。それを十六枚書くのに三時間半かかる。何回やっても同じ。何回やっても、便箋で原稿書くのは八十回か九十回していますが、何回やっても三時間半です。だから三時間半、あまり邪魔のはいらない時間を、いつと決めなければならない。日曜なら日曜と。それで書き始めると三時間半で書ける。その場合にある程度メモは作っている。前は便箋で書く時はメモなんか作らないで書いていた。今はタイプで打つから、四百字詰めで、今、様式を詩を入れて読む人がだいぶくたびれるというから、文章の方を少なくするように変えていますから、詩を入れなかった時分でもタイプを打ちながら考え、考えながらタイプ打っていくわけです。そのメモを三項目位作っておく。大体メモを見ながらそのつどそのつど思いついたことを打っていく。

書きながら、書くという表現を持つと考えが沸いてくる。ただ頭の中で考えている場合はそれからなかなか発展しない。だからなるべくそれをメモにでもすぐ書いてしまう。書いてしまうと今度は別の発想が頭の中に浮かんでくる。所が書かないでおくとそれを忘れないようにと思うから次の発想に掛かれない。それでそこで止まってしまう。だから考える練習、考えるということは一つの練習、技法です。かつがつ書いていく。私は毎朝二百字の紙に書いていくわけです。毎朝やっているから、考えるというのがやり易い。考えるということを習慣化しているから。逆にいうと、考えるということを習慣化しないと、考えられるはずがないんです。これも一種の技法というか生産です。知的生産。技法を持たなければ駄目。ただいきなり考えろと言っても、何か物を作ることをやっている人間が考えるということが出来るか、別の作業になる。物を作るということと考えるということは別のことですから。物を作る人間が必ず考えられるとは限らない。少し積極的な人は、物を作る事と、作る過程において考える事を工夫するということで、考えることが出来る。しかし、予定通りに作る場合には考える要素が入らない。マニアル通りに仕事をしなければならない。企画通りに作らなければならないというのは、自分の考えを入れてはならないということ。それを毎日毎日やったら、考えない考えないを毎日やる。だから、農業をやっている、昔の農業は朝早く田圃にでて草取り毎日するわけです。これ考えながらやったら耐えられないです。私達は草取り二時間は出来ない、苦しくなる、それは拷問です。一時間以内だから庭の草でも取ったぞ、晩にはビール飲むか、これいいわけです。八時間やってみたらそれは耐えられない。
 
なぜか、私達は考える能力というか、習慣をもっているでしょう、だから考えない、草取りということは考える必要ない、だから考えない作業すると苦しくなってくる。テレビもある程度受け身ではあるけれど、ある程度は考えて見たり聞いたりしている。あれが全然意味のないものを見るなら、自分も考えない、意味の無いものを見ておられるか、あれはある程度意味がある。ドラマだから、こっちも意味をある程度受け身だけど、考えて見ている、だから見れる、おもしろいわけです。 


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