三宝聖典 第一部 二十九項 ディーガナカの入信

ディーガナカの入信

時に世尊、ラージヤガハの東北、ギッジャクータ山のスーカラカターアナに住した 
まえり。サーリプックの叔父 ディーガナカ行者、来たりて世尊に問えり。
 「世尊よ、われは一切を認めざる主義なり」
 「ディーガナカよ、一切を認めずというならば、そのおんみの認めずという主義
も認めざることとなるや」
 「世尊よ、われもしこの主義を認むるなれば、しかり。」
 「しかりと言いつつその矛盾せる主義を捨てざるもの多し。されど捨つるものは
少なし。一切を認むる主義は欲望と束縛と執着と共なり。認めざる主義は、これら
と共ならず。」
 「世尊は、わが主義をたたえたまえり。」
  いずれもその主義に執着なせば、その主義を主張なす二者の間に争い生じ、論
を生じ、反論を生じ、害を生ず。知恵ある者は、これを知りてその主義を捨つるなり。
 ディーガナカよ、この肉体は物質よりなり、地水火風の要素よりなり、父母より
生まれ、食物によりて保たれ、変化してこわるるもの、苦しみ多く、病いの巣、む
なしくして本体なきものなりと見らるべきなり。かくのごとく見るものは肉体に対
する欲望と束縛と執着を捨てさるなり。
 ディーガナカよ、感受に三つあり。苦と楽と、苦にあらず楽にあらずとの三種な
り。それぞれ縁によりて生じ、変化して滅するものなり。多く聞く聖なる弟子は、
これらの感受をいといはなれて解脱す。解脱し終りて解脱せりとの知恵生ず。
  『わが生はつき 解脱せり    われ清き行 はたしたり
  なすべきことは なし終えり   これ最後の生 この後に
  ふたたび生を 受くることなし』と。
 かくのごとく心の解脱せるビクは、何ものとも和せず、何ものとも争わず、また
世間において語らるることに 迷わされずして決断す。」
 この時、サーリプッタは世尊のみ後ろに立ちて 世尊をあおぎつつ、
 『世尊は、われらにその捨つるべきもの、のがるべきものを説きたまえり。』
 との思いを生じ、あやまれる依り所を捨て、煩悩より解脱してアラハンの聖者と
なりたり。ディーガナカもまた「生ずるものは、みな滅す。」とのけがれなき法の眼
を得、生涯 三宝に帰依なす信者となれり。
南伝十巻三三三頁中部七四長爪経 中アゴン七四長爪経

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